昨日に、趙博(チョウ・パク)が事務所のメタモルに来てくれ、私の母の遺品でのカヤグム(韓国の琴)を調弦してくれた。
今回の『ファン・ウンド潜伏記』の一シーンで、飾りの道具として使う為だ。
母の金紅珠と暮らしたファン・ウンドの故郷の韓国は固城(コソン)での、ウンドのきっと生活の一コマとしてあったろう、そんな風景として舞台で立ち上がらせるシーンである。
パギ(趙博を私はパギと呼んでいるが)はメタモルホールと呼ぶその態変の稽古場に入り、「金紅珠(キム・ホンジュ)さんが実際に使っていた、カヤグムがこうして残っているんですね。」と、その楽器が奇跡的に今この世にあり、自分が調弦しに直す役割を噛みしめるように言ってくれる。それを聞きながら私は、この重要さはやはり在日コリアンの私と同じ二世で、他界する人の多い歴史を背負う一世が
言葉ではなくその存在として、我々二世へこのような形で遺されそしてまさにこのようにして触れさせられる意味、それをことさら説明しなくても解るのが日本人ではなく、同じ問題意識として持ち続けて来た在日コリアンにしかない反応だな、と私は黙って嬉しく思いながらメタモルへ迎えた。
実はこのカヤグム、母の死に際しあわや粗大ゴミとして、我々遺された遺児等に取って捨てられかけたのだ。それはカヤグムは、調弦ができければ、単なる無用の長物としてしか存在しないからだ。そんなところを見付けた私の連れ合い(日本人)が、そんなことをさせてはいけないだろうと言い(その価値にまだ私も気付かなくポカンとしていたのだが)、一人でゴミになっていた今里の母が住んでいた家から救い出し、その頃あった我オンポロ車に乗せ連れ合いが我が家へと運んで救出されていた、という代物だ。
パギがそのカヤグムを見て、「もっと破損しているものだと思ったが、全くの無傷で調弦さえ出来れば元に戻る良い状態なんだ」と感心していた。
金紅珠が生前に手元に置き、使っていたそのカヤグムは、"調弦"という一点で捨てられかけもしたが我連れ合いと、今回の『ファン・ウンド潜伏記』を機に得た数少ない在日コリアンの友人として現れてくれた、音楽を担当するパギによって、蘇り今そのまま態変のアトリエでカヤグムは元の姿ですっく立ち、公演の日の出番を待っている。