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V ★★
(~) ,,~目座視114~" ★★ V みなさま、お元気ですか? さて、長く取り組んできました韓国Project、いよいよ公演の 2011年3月がやってきました。 一年以上に渡り大阪と韓国のソウルとを行き来し、劇団態変の 『ファン・ウンド潜伏記』公演へ向け、準備を重ねてきてその回数 7回になります。 昨年の一月に渡韓1を開始し、そのソウルの寒さに震え上がり凍 る思いに、ブーブー言っていたのが昨日のようです。 お陰さまで、来週の火曜日3/15、私を含め5名の第一陣が翌日 3/16(水)第二陣が、関空から韓国公演始めの地ソウルへ向け、 飛び立ちます。 ソウルでの公演3/21・22 p7:30~、ホールは「KOUS-韓 国文化の家」です。それに向けた日本と韓国かなる『ファン・ウンド 潜伏記』劇団態変公演への、合同稽古を初めて行う為に出発します。 そして、3/17・18の2日間をハジャセンターを稽古場として、 朝10時から夕方6時までをフルに使って行う予定です。 それらは難関の連続だと言えます。 韓国エキストラ達の8名は、舞台へ自分が立つとはこれまで生きて きて夢にも思わなかった、生そのものを奪われ兼ねなっか施設生活を 長く経験し年齢も経て、最近になってようやく一般社会へ出て自立生 活をしだした障害者が三分の二です。 私自身の、子供時代を過ごした施設での暗く苦しい経験があります。 そこから生還したサバイバーだ、とそのことを人から言われ、戸惑 う気持ちがありました。サバイバーで思い浮かべるのはやはりナチス ドイツ時代のアウシュビッツです。私の体験が、それほど悲壮さと生 死を分けるような、歴史的苦悩を背負う程のことではない、と気後れ する感覚でです。 しかしマレーシアでもそうでしたが、今回の韓国でよりはっきりと、 その意味に自らが気付くことになったということです。 エキストラ達への稽古を通し、私が持つ感覚の中には確かに、彼女 彼ら達にある施設で過ごした感じ方と同じものがある、という新たな 発見です。 人間扱いされない劣悪な施設という特殊な環境に押し込められる、 というのは、そこから全ての人間世界が見える、ということに近いと 思います。人間の持つ一瞬一瞬のありとあらゆるエゴが凝縮している 場が、収容施設の日常生活だった、と思い出しました。そういう所で は、障害児達は周りに展開するものは、簡単には信じなくなる。それ らを凝視することでしか、一瞬一瞬を無事に少しでも自己としての思 いが通る方向で、安泰にその日を送ることができるかできないかが決 まるからです。 それは、感じる感性のみを信じている、という感覚です。 しかしそれは取りも直さず、真っ当に生きたいと渇望する欲求が強 くあるからこそ、信じないし、疑う凝視した眼差しを獲得したのです。 それは絶対的感覚として、私は、支持します。 そういった劣悪な環境でこそ、人が人間に向けた、信じるという気 持ちが支えとなり生還させるのだ、とナチス時代のアウシュビッツ生 還者が話すのをテレビで聞いたときは、私は半信半疑でした。生還者 としての言い訳じみた綺麗ごとではないか、と穿ったものの見方で一 瞬捉えてしまい、その当たりの真の感覚がすごく気になっていました。 エキストラ達へ稽古をしながらも、尽きぬ自問自答は演出として常 にあります。なぜ私は、芸術を学習し専門にしたいという、健常者文 化の手垢を付けた人ではない、寧ろ芸術とは無縁で遠くに追いやられ てた白紙状態の施設にいた障害者の表現に、真実を見るのだろうか。 得てしてそういう人は、やる気があるかないか解らない素人とである のは確かなことで、そんなしんどい目をしても演出のやり甲斐をそう いう人へ感じるのはなぜなのか。それは、芸術家としての征服欲の自 己満足としてなのか、等々。 しかし、エキストラ達は、そんな私が考える理屈よりも現実として 展開してくれます。同じ障害者達の言葉を良く聞き、障害者の一人が 持つ困難さを自らの問題として共有し、共に問題の解決策を練ろうと する姿勢でいつも素晴らしい解決策が発案されて行きます。言葉を繋 ぎ思いを伝え合い、弱いということへの共有で、知恵の出し合いをや り乗り越えて行こうとする前向きさに、いつも内心感激させられてい るのです。 そういう場面で、私の己的体験に連れ戻され、気付いたのです。 施設という劣悪な環境の中で、仲間を思いやる気持ちが確かに芽吹 いていた、と。そんな中で施設という生活が全ての関係の中で、最悪 な状態に陥って行く友が目の前にいた。一人孤独に諦めさせられ死の 淵に追いやられて行く、その友を見ながら、私は何も成す術がなく助 けられなかった。そればかりか終いには、彼女と自らの境界線を引き、 自己を保とうとし、彼女は黙ったまま死んで行った。という思春期の 自責の念。それへの解き放ちが、そのエキストラ達との稽古やその後 の話の中で、はっきりと解ったのです。 いくら劣悪な環境の中でも、人が人として生きる前向きな意思は変 えられない。それがあるから、人を信じて、生きて行ける。アウシュ ビッツの生還者の感覚は本当のことなんだ、と。 そして人だけではなく、生きとして生ける万物に宿る命は、その死 の迎え方によっても、何かを伝える役割がありそれを果たすのみなの だ、ということを。 いよいよそれらが越境し、韓国での公演を待つ、地響きが聞こえます。 Manri Kim
by kim_manri
| 2011-03-09 14:55
| 目座視
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