2012年2月17日p6:10、態変の凄い役者、木村年男が永久の眠りについた。
態変の伝説の旗揚げ『色は臭へど』公演で、数少ない写真の中に、森永ヒ素ミルク赤ちゃん役、白いガーゼ布で上と下が繋がった生まれたて赤ちゃん服を着て天に片手を伸ばし指すような、それ以来木村の独特なポーズとなった、姿がこの作品の有名となったのが木村である。
本当に全く、木村の寝たきり身体である、その表現は超絶であった。
一切の無駄な贅肉を付ける余裕は許されず筋肉だけで、緊張でバランス取れにくいその障害の、微妙な均等を保とう常に逆の緊張で自己の身体の中での、綱引きの闘いが繰り返されている。少しでもその緊張を量り損なうと、身体は思わぬ方向へと投げ出され、床に思いくそ体を打つけてしまい打ち所が悪いと、痣を作ったり下手をすると口を切り血を流すことさえある。
壮絶な身体との闘いが四六時中展開されているのが、木村という身体自身であり、それそのもが木村の自覚のもとで態変の身体表現へと昇華されていった。
本当に凄い表現であった。ひとたび転がるとなると、膝をしこたまぶつけないと成り立たずなので、ガンガン床を打ちながらこれでもか、と繰り返される床面へのジャブは、見ているこちらが「木村、もういいから、そんな痛いことは、もういいから。」と止めたくなる気持ちを、いやいや、これで止めるとなると<お前は、危ないから、もう動くな、じっとしておけ>と、蔵に閉じ込めておくことと同じことになる。と、ぐっと抑え木村の不作為に見える身体のおもむくままに描き出す、寝転がりの動きの軌道を私は目を凝らし見つめるぐらいしかできなかった。
その内ようやく気づいて膝サポートを工夫したりしだしたのも、随分後になってからのことである。体力削りながらも、じっとするのは所詮無理な日常に生きているのが木村の身体なのだから、それを舞台表現として何とか成立させることはできる筈で、そうしないとその絶妙な在り方そしてエネルギーが無作為で済まされるのでは勿体なさ過ぎであろう、と正念入れてこちらも向き合うまでには時間を要した。
それまでは、木村の身体にとってある程度の好き勝手な無作為的な動きを活かし、舞台上で演技をするものを作ることが私の演出のある側面での仕事であった。
しかしそれだけでは悔しい思いに駆られることも何度かで、それは私だけでなく当の木村自身もであったのだ。
それを語れば切りがなく又記する時は後の機会に取っておくが、木村は態変の役者としてやったのだ、やり切ったのである。その木村の安らかな終焉は、決して悔やまれることなく、爽快に旅立つものであったと確信する。