明日からメタモルホールが『寿ぎの宇宙』一色になる。
その手前で、平穏に昨日は、狂う、を言葉にした。
今日は、許す、を言葉に選びたいと思う。
許しを請う
自然の地震による、地表にへばりつく我々人類は、簡単に飲み込まれ翻弄されるいともか弱き存在
しかし人類の、原子力開発の愚行はあとを引きそれだけでは済まず、多くの放射能流出は
今だに原子力発電に乗っとって、一層に自然を汚染している。
福島原発が、地殻の揺れに即応し、立て屋は脆くも崩壊し、全域に住む人々は住民足るを得なく、危機に瀕している。
この地震国自体が、判っていたことにもかかわらず、無理やり原発を乱立させ、そして福島でとうとう原発事故を起してしまった。
それでも尚、福島の民への犠牲をなかったことにしようと、一切報道されず触れずまるで忘れさろうとさせている。
人類という種が、自然へ垂れ流した放射能汚染は、天災を起こした自然への仕返しか。
いや、人類と自然は、対等には位置しない。自然に含まれるからこそ、その一部として人類は迎えられ、繁栄も許されてきたに過ぎない。
人類が自然を征服なんかはできない。
自然を通して、星としての地球が、このように水と空気におおわれ循環する大きな一つの生命体として宇宙に浮かんでいるからだ。
その大きな地球生命体の中の、ほんの小さな部分を、人類が担うことにしかならないからだ。
その人類が毒を吐き、それ自体で悪玉を担うのであれば、地球生命体は自浄作用で殺すかであろう。
地球生命体は宇宙の摂理に関わっていて、人類とともに消える可能性もあるかも知れないが、バランスは絶妙だろうからそう容易く消えてしまうわけにはいくまい。
現在、人類が、地球生命体として、生きれる道がある内にこの状態に許しを請う、真から許しを請うことからしか始まらない。
そして共に手と手をとりあって、なくしたものも一緒に蘇らせるぐらいの、祝をさせてもらおう。
『寿ぎの宇宙』は、そんな小さきものの傲慢さを恥、大いなるものとの対話を楽しもうとしている。