自然と人間の生き方に、思いを馳せる。それほど、長い年月と、温暖化の現実、の差異とを感じる。
裏の屋敷の大木の伐採。我家に近い場所の残り数本が、今日切られるか…。
金・土に続いた雨と日月の連休で、4日間延命できた木たち。
裏の屋敷で一週間前に起こった大木伐採で、我が家に腹ばいで居た自分の下で、地揺れを感じた。
木の悲鳴もそこにはあったろう。
開発、という人間勝手な都合での、死、がここにもある。
確実にこの日本の気候がここ十年位で、大きく変化しているのを、気温に敏感なポリオの身体を持っている私は大問題として感じている。
我々の生活にとって又これからの未来にとっても、木と土の自然は都会ではなおさら、できるだけ残す方向でないと街作りは失敗となるだろう。
何十年かも前の大阪府議会で決まった、という大規模道路建設予定のために、以前の我家の引っ越しがあって、その時に至近距離で見つけての現在の我家なのだ。
だが、現在の家にとって裏側にあたるところ一体も、一連の道路予定地だった。
そこの大きな敷地を占める屋敷が、立ち退きに応じたようで、更地にするための敷地内にある林から伐採作業が始まったらしい。
今の人間がこれ以上のいい暮らしをしなくても良い、だけででは済まず、これより生活水準の低下をしないといけないだろう。本当の政治というものがあれば市民にそれを提示し、協力を求められるような信頼を政治が取り戻さなければいけない。それほど地球温暖化への、政策が日本でも必要だし今までの政策のやり方を変えていかないといけない窮地に、地球規模のこの地がきている。
温暖化を防ぐために何十年も掛けて太い幹になってきた樹木を守り、地球環境を人間の利己的な理由で破壊せずに、まだ見ぬ将来の人間の暮らしに思いを馳せ、温暖化を防ぐことの方がどれだけ大事か。
人間も自然の生き物だ。
その日の天気に左右されて、無自覚でも生きているのが本当だ。
この摂理に反しては、何人も生きてはいられない、という事実にもうそろそろ向き合うべきではないのだろうか。
裏の屋敷の木々たちの悲鳴とともに、私の心が、引き裂かれている。