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10/8(月)の午前マリヤニは、元気に関空を飛び立ち、帰国の途に消えていきました。
5週間を公演を一週間挟んでの、内容が多義に渡っての研修で、講習では稽古を見た事が即講習に活かされる程、行なう方にもきつく楽しく。 その分マリヤニにとっては態変の身体表現の一番濃いところが解る、中身として嘘のない真剣勝負の現場の研修にできたと思います。 9月2日に到着したマリヤニはその日に早速、別の場所を借りて行われている態変の稽古へ見学し、初の大阪の電車に乗り態変事務所のイマージュへ戻り私達の用意した歓迎会へと。その歓迎会でマリヤニはマレーシアの自分の劇団へ関わる全ての障害者の代表として自分は日本にやってき態変の研修を持ち帰りたいと思っている。との挨拶をしマレーシアの厳しい環境の中で日本に研修に来るという事を引受ける心構えが述べられました。ハードスケジュールの初日の出だしにも関わらず、その後の通訳を通じての内容の詰まった講習や稽古見学を病気一つせず元気に5週間を無事終えられたのは、マリヤニの持ち前の前向きな明るさとマレーシアでの障害者の表現が自分にかかっているという希望と責任感だと思います。 身体表現では自分の身体を頭でのコントロールで捉えるのではなく、身体自身の勝手に動き出す動きを引き出す為の活元が出る事が一番重要と捉えていましたが、難航はしましたが5週目に入り無事マリヤニの身体からは出るようになりました。 これは結構困難な事で、頭脳の支配下としての身体としてしか捉えない教育の行き届いた欧米圏の人達の身体では特になかなかこの活元は出ません。私の経験上で言えば英国スコットランド・ドイツで障害者も健常者も身体のワークショップを行ないましたが、自己の身体に不測な動きを認めず滑らかにスムーズに徹底した動きしか出せませんでした。この活元を出すだけでも非常に時間が掛り粘りづよい取組みが必要だと思っていたのです。マレーシアも同じです。教育を受けれるのは義務教育があるのですがイギリス・フランス・オランダの欧州の植民地での教育が徹底していて、そしてその教育は絶対的な高圧的な教育です。身体自身の動きを認める等という事ではなくその逆の頭脳絶対主義がエリートになる教育の仕組みでしかありません。マリヤニも障害者の中でも珍しく普通学校の中で教育を受けそして今大学の通信教育まで行こうとしている人です。 そしてマレーシアでの多民族国家としての複数言語を話せて当り前の国。マリヤニもマレー語と英語を話す。言語能力というのは特に複数の言語は頭で切り替えが必要である。それだけ頭脳コントロールをしないと喋れない。 だから身体としては、時間をかけ活元という存在がマリヤニの体にあるのだ、と言うことを今回習得して帰国させたい、というのが私の研究所の大きな目的だった。それが身体障害者にしかない身体表現をだせてまたそれが良いと思える感じ方や見え方の、180度変わる大きな変化の第一歩として。 感じ方が変わると見え方が変わる、それをマリヤニは自分の身体で、研究所の私の指導で掴んだのです。マリヤニ一人のその習得は、いわば一点突破です。マレーシアヘ持ち帰るマリヤニはさぞかし大変だろうが、講習では私からのディレクションで多過ぎるほどの理論でこれは頭に詰め込んで、マリヤニは頭も体も一杯に膨れ上がった状態で、元気に痩せて帰って行きました。 マリヤニは帰国前日に行なった歓送会には、それらの研修で詰め込んだ一端を、態変のメンバー向けに、プレゼンテーションを行なうまでになり、日本に到着したときにとは見違える進歩を示しました。 テント公演の最中では暑い日もあり寒い日もあり日本のコロコロ替わる異常気象を全部網羅されたような日を3公演全部場当たり・ゲネも見て、マリヤニにとっては感じ入るものがあったようです。演出は常に公演を良くするために大きく役者をシーンとして降ろすこともあるのだ、と言うことを目の当たりにして、マリヤニは非常にワクワクドキドキし公演の一番の観客として観ていたに違いない。 公演初日後には、マリヤニは満面の笑みとなり私を見付け思わず抱擁しあい、感謝の気持ちを交流させるそのテント公演の共有者になっていたのです。 そしてマリヤニの見学しての質問は常に素直で的確でした。それまでの研修でのものを照らし合せて公演を観れたので、舞台上での3回公演の変化を、その構図(役者の身体表現としての舞台)や表現に対しての演出意図に対して、その素直な洞察によって質問することができました。 私からの演出としての意図を引き出すことや、マリヤニの意見として「シーンでの役者の省きにより、非常にすっきりとしたものに見えてきた」とか、自己の意見をしっかりと付け加えることも忘れないのです。 マリヤニから出る質問は、日本人に多くある社会に揉まれないところの丸投げ質問では決してなく、受けて立つこちら側の者に取ってもストレスの少ない教えることに専念でき的確に返すことの出来るものでした。 そして公演後に再開した講習で、マリヤニは何と! あれだけ大変なテント公演のしかも寝た切り重度が主役を務めた『マハラバ伝説 黎明編』を観て、マレーシアで自分達が旗揚げする劇団の初演作に『マハラバ伝説』をしたい、ときっぱりと言うではありませんか!! マリヤニは現地に帰ってからのメンバーヘの説得が大事であろうと予想の出来ることで、大変になるだろうと考えられますが、公演を観てしまった者にとって自分達も遣りたいと憧れてもらえるものができたんだ、と思えることで私も嬉しい限りです。現地へ帰国してからは又どうなるかは解りませんが我々の、日本からのできる限りのエールは惜しまずに、したいという気持ちで一杯です。 帰国の途に着く空港で、私が「身体表現へは、日本へ訪れ私の研究所を引き続き受けて、深まっていけば良いものだから、又来れば良い」と言うと、マリヤニの方から「今度来るときは、他のメンバーも研修に来れるようにしないとね」とリーダーとしての自覚ある、全体への目配りを忘れない立派な姿勢で逞しく答えていました。 そしてマリヤニは、私達の日本人からは踏み込めない検査のゲートを抜け日本でも外国でもないその緩衝地帯の空間のエスカレーターを、大きく手を上げたまま静かに降りて消えて行きました。 見送りながら日本での私の研修が、マレーシアで実践するマリヤニに取って行かすことの出来る有効なものとしてどれだけ与えることができたか、と言えば心許ない私の出来ではあったかも知れない、という気持ちに駆られること仕切りでした。しかし後は、私の手の届かないところで後は、一人で闘うしかないマリヤニという、私にとって優秀な弟子に巡り合えた、マレーシアでの4年間の全ての取組みを振り返った時に、当初では想像はしてもどこにも確証はなかった所から、それもマレーシアだけで終るのではなく日本と言う地へ現地からの障害者自らが乗り込んでこれた、というのは予想以上の快挙です。 後は、マリヤニのその力量を信じ、そしてマレーシアで立ち上げる新たなマリヤニの劇団は支えられ、発展して行くことを、遠く日本からも願うばかりです。
by kim_manri
| 2007-10-23 10:48
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