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ジャカルタの空港へ降り立ったときの印象をここに記したが、2、3日経ちジャカルタの印象がまた違うものになってきた。シンガポールの中心地の4倍くらいある大都会である。車で行けども行けどもジャカルタ市内であり、高層ビルが目につく。
マレーシアの場合は、亜熱帯雨林の中に忽然と現われた都市というのが印象だが、ジャカルタの場合、都市としての歴史の厚さやインドネシア自体の文化の栄えた王国という影か、非常に渾沌としてはいるが、ある意味都市としての重厚感があるように感じられる。 昨日もこちらの新聞社へ取材を受けに訪ねて行った。門番の立つ塀をくぐり抜けると、古くてしっかりとしたビルの玄関に30代のベテラン女性記者が待ち受けていて、上の階へと通される。すると、絨毯のガラス張りの大きな両扉の中に豪華な会議室に通されたのである。そこに、記者たちが集まり5人、1時間強かけて熱心に質問を代わる代わる質問内容も多義にわたり行われた。玄関に迎えにきてくれた女性記者よりも、全員が若い記者である。同じ社で5人話を聞いたとて、書けるのは一人であろう。しかし、今回の私の公演への関心を玄関に迎えにきた女性記者が、部下達に直接話を聞かそうと、セッティングしてくれた模様。 インタビューが終了した後、和食弁当のご馳走までしてくれ、取材した記者たち全員でご飯をその場所で食べる事に。お茶も用意されていて、好きに自分で食後のお茶を飲み、帰りには手土産までくれる歓迎ぶりだった。 帰りの車の中で、基金の熊谷さんが「スワラ・ペンバールアン新聞は、スハルト元大統領の独裁政権の時代に、当局批判きっちりやるところとして目をつけられ、発刊停止まで追い込まれたところです」とのこと。ペン1本で民衆の声を代弁するジャーナリストとしての本来のあり方を追求しているところなのだ、ということが初めて分った。インドネシアのジャーナリズムの建機さとインテリにふれた気分である。帰りがけに玄関まで見送りに来てくれた記者の一人から「今刷り上がったところの今日の新聞です。」と、カラーの表紙でスハルト元首相の葬儀を大きく報じた、まだインクが湿ってて温かい新聞を5束ほど手渡された。 (スワラ・ペンバールアン新聞の記者たちと) ジャカルタという都市は、ビルの倒壊などがあっても平気に横を通っていたり、決して綺麗な町とは言えないが、そういったインテリの層が非常に素直であり、真摯である。 出た質問の一つに私が答えた「パンジ・スミラン」の物語をマレーシアの3年間のプロジェクトの中で、自分の作品として『月下咆哮』に作り上げようと思った、という作品説明に対して、記者達が少し騒然となり私に「その物語はマレーシアで見たのですか。その物語を初めて知ったのはどこですか。」と、情報の出所を問い詰める一幕もあった。これもあとで熊谷さんに聞くと、マレーシアとインドネシアの両国間の仲は今良くないという。インドネシアとマレーシアの間にあった島2つを両国が所有を主張していたらしく、もともとはインドネシア領土らしいのだが、最近国連でマレーシアのものとして決める決議を行なわれたという。そして、インドネシアの古くから親しまれている歌を最近マレーシアが自国のものだと公表し、インドネシアのマスコミは「インドネシアはマレーシアは国まで奪い、インドネシア人の心の歌まで奪うのか。」という怒りを発言し、インドネシアの歌として死守しようとしているという。だから、私がマレーシアで『月下咆哮』に「パンジ・スミラン」を入れると考えついた、と聞き、マレーシアでその資料を勝手にマレーシアのものとして出しているのではないか、と騒然となったようである。そのことは、私が日本でインドネシアの民話を日本語で訳したものみて「パンジ・スミラン」を気に入り、私のイメージを触発するものとして、私の独創として作品にした、という説明で一件落着。 インドネシアの今の世界的位置について、隣接するマレーシアやシンガポールといった近代都市をおし進める特色ある国におされ気味で、世界の中での生き残りをかけるというところでの苛立ちの存在をこの取材の中でも感じる出来事だった。 しかし、野放図のパワーはやはり何と言ってもインドネシアに感じるものはだんとつである。他の2つが多民族国家を選び、世界の中での生き残りにかけたのに対し、独自の文化あり方を貫きそして、ややもすると古風なイメージで今後の発展の伝統文化をどのようにして調和させていくかという悩みに真剣にぶち当たらなければならない。それは、まさしく渾沌を徹底的に追求した先にやって来る調和ではなかろうか。 軍事独裁政権スハルト元首相が死去した、という今の時期に私のソロ作品は、異質な異文化な異なる国や世代をこえるものとして、越境している。この作品がどのように今のインドネシアの人達に受入れられ迎え入れられるのか、非常に一瞬一瞬を生き、時代に触れられるものでありたいと思うのである。
by kim_manri
| 2008-01-30 02:57
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