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毎週水曜日、態変事務所のイマージュで、夜8時から勉強会をやり出した。
それは、ヘーゲルの「論理の科学」だ。 チューターとなって行う人が居て毎週集まり、その人が本から抜き取りコピーをしてくれて、それに沿って説明を聞き考えたことを話したりしている。 人と何かを会話する、人と関係を問う為に、コミュニケーションがある。そして人間の中で社会的な動きを作り出すにしても、人間という有象無象の中で自分と他者は何を作り出したいのか。 全く孤立無援な離れ小島でたった一人で生きて行くわけにはいかないのだし、自分達有象無象の中にも何らかの可能性があるのかもしれない。そのただ中に居ながら自分も含め如何に気持ち良く問題を凝視しながら物事を進めて行けるか。 大なり小なりこの現代社会で生きているということは、そのようなもののただ中に身を投じている現実を思わずにはいられないだろう。 少しでもそんな自己と他人への向かい方をより良いものにする為に方法があるのならば学んで行きたいし、そうすることで格段に人との関係作りや人という社会の見え方が変わったりする。勉強会中は脳みそフル動員で、始めた頃には次の日までも尾を引っぱり、それどころか一週間くらい頭がぐるぐる回っている。 たくさんある言葉や情報の内容の中から、しかし私などは決して優等生ではないし、優等生ぶりも出来ないので、それまで引っ掛かっていたことの自分の中でも問題点が響きそうな所を拾って聞いているような利用の仕方をしている。 世界ががらりと違って見えるという経験は、私は身体表現の中で追求し、私は自身を肉体派だと思っていた。そして見える世界として展開され、見える世界として世界観が変わるという一瞬の驚きというものを大切に拾い集め、捨てないように努力し、記憶に刻むように自分に言い聞かせる。 しかし確かにそんな時は頭の脳みそフル回転でその驚きや一瞬の解らなさに対し、一生懸命解析しようとしばし立ち止まっていることが多々あることに気が付く。だから身体という肉体がやはり私の場合はまずありきなのが、そこへ理解というものを身体としても頭としてもフル回転でやろうとしていることが、全ての出発でありプロセスであり結果なのだと思う。 勉強嫌いな私は、そのことを内省ではやっていながらも、前向きに捉え取り組もうということへはパスして来たし、どちらかと言うと斜に構え馬鹿にさえして来たと思う。 人間がそんなに物わかり良く理解し合えるような道具として何か方法がある、という風にも思えないが、しかし人それぞれの独特な思考というものが(私などはまさしくそれだと思うが)あるということと、それも含めて他人は違う思考をしているのだからその違いを知って行くということは私にとって非常な世界観の広がる喜びと成り得るのだ。 しかしその違うという所が入り口になるのか、そこで終わる出口となるのか、これは結構人によってその捉え方は違うのだ、というのが最近解ってきた。 ヘーゲルの哲学の特色は矛盾を矛盾として捉えていることだと言う。そのことを無理矢理白黒付けず、しかもカテゴリーというものの分け方を執念深くやり出した人だと言う。 これこそが私にとっては矛盾することなのだが、矛盾と言うか混沌を混沌として捉えるのに、大枠として分類に分けるカテゴリーの考え方がどのようにして相乗効果になるのか。 この不思議、への探求は好奇心に導かれている。(ヘーゲル Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770-1831 の肖像)
by kim_manri
| 2008-12-18 21:01
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