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2月4・5日に『一世一代福森慶之介 ゴドー待ちながら』改『一世一代福森慶之介 又、何処かで』の公演でエストラゴンを演じ主役で出た福森慶之介が、3月11日永眠した。
公演ダイレクトメールへ、肺癌のためこれが最後の舞台になるやもとの福森自身の文章があったが、この公演後でまだ先に何かできるかも、といった期待が私にもなきにしもあらずではあり、こんなに早くに逝ってしまうとは思わなかった。 やはり福森を亡くした私の失意は隠せはしない。現に4月以降の劇団態変の運営自体にも危機がせまる中、この福森死去の事実は失意であり喪失感であり、一緒に闘ってきた同士を失った。 何を頼りにして闘いを挑めば良いのか、共に闘える同士がいてこその戦場へ、丸腰の丸裸で放り出されたも同じである。心許ない寄るすべのなさである。 しかし、福森を葬る一連の儀式の中で、どんなものが最後に残るのか。そこに懸けるしかなかろう、という気はしていた。 今はなんとも言えないが、兎に角フェイスブックに今日記した葬儀の模様を、ここへ載せておきたい。 本当にこの度は、福森慶之介葬儀へ多くお集まりいただき、感謝に絶えません。 9時からの葬儀は、生前からの福森の無宗教の意志にそって法要はなしで、北大阪祭典のご提案で、態変が30分ほどいただいて行いました。 福森の詩を2つ読むのに始まって 私金満里の衣装つけてサルプリを自由バージョンで3分強その後着替えに別部屋へ行って観れずだったのですが、 小泉の衣装つけてパフォーマンスへ途中礼服で下村と上月が乱入パフォーマンスへと。 最後に喪主のお兄さんからのご挨拶 最後の福森とのお別れに棺を開け、一緒に彼の世へ持って行ってもらう数々の品を収めました。エストラゴンを福森が演じたときの衣装・ハット・靴を抱いてもらい、ご供養にお持ちいただいたアンパン沢山・みかんや・折りつる、そしていただいた沢山のお花を参列者に福森に添え、それはそれはお花に囲まれ楽園の様でした。 奥様の史恵さんの悲しみが、当たりに響き渡ります。「目を開けて。 起きて。 Kくん。」「もう一度ドライブに連れて行って。」棺に取りすがって絶叫される慟哭の姿が、参列者の悲しむ心を、見事に表現され胸を打ちました。 このように黄泉の国を踏める福森は、本当に幸せ者だと思います。 韓国では古くから、親族が大きな声で悲しめば悲しむ程、死者は極楽浄土への道が開ける、という習わしがあります。しかし現代社会では、ありったけの悲しむことも、自制することに慣れすぎた不自由さがあります。 遺族と劇団・友人が25人乗りのバス満杯で移動し、天満の北斎場へ。 10時2分、福森の棺はボイラーの扉へとのみ込まれ、12時10分にお骨と化した福森との再会。お骨をみんなで拾って。12時30ぐらいには帰路へと。 昨日のお通夜も障害者が来やすいように夕方5時から、という早い時間から行なって、驚く程の多くの各界の方々が詰め掛けていただけました。 訪れた山本公成氏は、ふらっ、と笛を吹いていただけその場が澄んだ空気に包まれる時間を作って頂けたり、思い思いに自由にできた有難い空間を、親族の理解ある態度のお陰と福森の芸術家として惜しまれるものが葬儀という形になったと思います。 天寿を全うできるいい葬儀が出来ましたことを、ご報告したいと思います。 今後の態変にとっても、福森を亡くした悲しみを大きく乗り越ろ、という確かな声援をしかと受け止めさせていただけました。 みなさんの温かい御心、本当にありがとう御座いました。
ピナ・バウシュの素晴らしい映画の「Pina」を梅田ブルク7で観た。
作品については、すでに昨日にたっぷり記したので、今日は-社会の庭-へ記する、又違った映画「Pina」の側面として複合的なアリティーとして、3Dだけでなく4Dへと進化させるがために。 2度に渡る映像中断、という事態へ館・お客としてのいろんな態度を考える。 この映画館はメガネを受け取りそれを掛けて観る、飛ぶ出す絵本のようなバーチャルリアリティーで映像を見せる所だという。この映画がそれだと知らず、そしてこの技術が最新のものではなくもう10年も前から、この映画館では専門で上映されている3Dというやつだ、ということも今回初耳初体験で驚く。 この映画パンフによると、これまでの3Dよりも「Pina」を製作するに当ってこの技術を数段向上させて、ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団の臨場感を伝える為に進歩させたという。 これは、本当に掛け値なしに凄い、良い映像への執念の結晶である秀逸作品であった。 丁度映像を観るこちらが活況になってきた頃にブチッと切れ、いきなり幕を下ろされたのである。黒い画面をしばらく事態がのみ込めずずーっと観ていた。あまり多くない他の観客からも何の声もなく、多分私が感じたのと同じく事態が飲み込めなかったのかも知れない。その内私は「ちょっとこれおかしいで。」と気付き、たまたま偶然に居合わせた何十年ぶりかの友人と顔を見合わせた。その時映画館の人(は、誰が出てきたのか今となっては定かではないが多分若いお姉さん?)が出てきて、機会の故障・直すのに少し時間を欲しい、と。私だけ「はい、はい。」と返事していた。そして決して短くはない時間での再開。 ところがである、又もや集中してきた頃に画面が停止、ブチ切れが起こる。今度は館も動転しているのか人の対応が遅く、ようやく出てきたのがまるでどこの誰?という具合で、人事のように通り一遍等に感情なく話すお兄さん。私があんまりのその対応なので「それだけの、説明の仕方はないでしょ?同じことも2度目なんだから、もっと謝るという気持ちはないの?通り一遍とな言い方では駄目でしょう。」と、思わず気持ちを言葉にしていたら、言葉なく退場していく人が2人ぐらいいた。お兄さん、そういう私へ向かって、気持ちのない態度で「どうも済みませんでした。」。「違うでしょう。私個人に向けて言われても。ここにいるお客さん全員へ向け貴方は、ちゃんとした誤りを言わないといけないんですよ!」と返すと、ようやく全体へ向き直りきっちりと姿勢を正してお詫びを伝えた状態。後残り映像は30分ある、という。 この後の30分は観ると観ないとでは大違いのこの「Pina」の作品の活況に入る所が一杯でありブチ切られたといっても、全くそんなことで色が焦ることはないばかりか、そんなことがあっても最後まで観て本当に良かったという、不思議な巡り合いを感じるぐらいだ。 しかし正直言って、他のお客はうんともすんとも反応なしで、実は終演後に一人だけ「チケット払い戻し」とつぶやいて出ていった人はいたが、後はおとなしく出て行く。中にはジロッと出際に私を見ていくお客もいたりして。無言で相手にお任せでは実際ないだろうに、対応へ抗議する私がおかしいのか、と変な気持ちになる。 館側からお詫びに出口で同じ映画の招待券が配られた。しかし中途退場して怒りを表明した人や、時間がまたあるとも限らないのは誰しも同じで、そういった意味で招待券を配って済むことではない。私も含めお客一人ひとりにとっての、折角のこの作品への一期一会の機会を台無しにしたことを、館側は自覚しておかないといけないだろう。 ![]() 昨日、映画「Pina」を観に行く。 ピナ・バウシュ2009年(もう三年前?)死去した。ヴッパタール舞踊団1973年より芸術監督。彼女自身、自分の舞台方法を「タンツ・シアター」と呼ぶ。 ピナ・バウシュが亡くなり、世界に失望が走った。 そのピナの団員への振り付けは、答えの出ないものを追求し、楽しみ苦しむ、生きる為に踊るもの。西洋舞踊の中では、かなり斬新だったんだ。 踊りも良かった! 最後の30分は特に。 映画の中で、大野一雄先生の名前も何気に出てきて、やはり嬉しい。 ピナの最後の言葉は、今の私が差し掛かっているときに、勇気になる言葉だった。感謝である。 それに、すっごくダンサーたちが、格好良すぎ。 特に年を重ねた老いが見えるダンサーたちが。男はスーツ、女はイブニングドレスで、四季を表す単純なくり返しで、列を作って歩くのが、歩道橋の階段で・遺跡グランドキャニオンのような広大な自然を縫うようにして。 高いヒールでのドレスさばき等、とても何気ない踊りに背筋と身のこなしが見事に出ていて、これは普通の人間では無理で、日々鍛えられているダンサーならではである。態変ではこうは行かない、が違った角度で同じものを感じる。 振り付けは 内面から来るものでないといけない、のがよく解る。 未熟な人は踊るのもやはりぎこちなく見えるし、熟された内面からの踊る身体は同じ振りでもやはり違う。 私は特に好きなシーンが2つある 淡いピンク色ドレスの女のダンサーが、男のダンサーで椅子を高く積んで行かれる隙間に、身体を滑り込ませるシンプル至極な作品に、女のダンサーのすり抜けた瞬間に感情が動き高ぶりなぜか涙が出そうになった。 モノレールの車室へいきなりドアを開けハーハーという音をさせながら、非日常的な白いバレー服に、日常を持ち込むように大きな白い枕かクッションのような物を持ち込んで、髪で前を覆い人間なのかどうか女か男かも不明なヒールの人が入り込んで来る作品。白い巨大クッションの四隅の一片を絞り握って持ってその物の形を変えてグニュグニュと遊ぶところが、感覚に合うものを感じストレートに、これ!好きだ~、と。 そのドアが開く前に、ロバの耳だけ付けた変な男が座っているのがただ映し出され、その他の乗客は一般の利用者風、という前フリが非常に利いているシーンだ。 新人が言っていたが、「何も説明はされないし、いきなり当てられるしで訳が判らず、入り込めさがあって。」と言うのも、私も身体表現では説明的にならせれるのは嫌いでそうしているので、やる方はそうだろうとよく解る。 ピナによって引き出され、ダンサー自身が自分で信じられないほどな振付をやってしまっている、そしてピナ自身の一部として全く一体化して踊りが成り立つ。ということをダンサーたちは異口同言に言っている。 そうなんだろう。素晴らしいシーンが舞台上で成り立つときは、演出と役者うちは黒子もが一つになっている瞬間なのだと思う。 うちの役者たちも、一生懸命に、こうなんだわ。もっと、いい言葉を、沢山投げかけよう! よ〜し! やらねば!!
2012年2月17日p6:10、態変の凄い役者、木村年男が永久の眠りについた。
態変の伝説の旗揚げ『色は臭へど』公演で、数少ない写真の中に、森永ヒ素ミルク赤ちゃん役、白いガーゼ布で上と下が繋がった生まれたて赤ちゃん服を着て天に片手を伸ばし指すような、それ以来木村の独特なポーズとなった、姿がこの作品の有名となったのが木村である。 本当に全く、木村の寝たきり身体である、その表現は超絶であった。 一切の無駄な贅肉を付ける余裕は許されず筋肉だけで、緊張でバランス取れにくいその障害の、微妙な均等を保とう常に逆の緊張で自己の身体の中での、綱引きの闘いが繰り返されている。少しでもその緊張を量り損なうと、身体は思わぬ方向へと投げ出され、床に思いくそ体を打つけてしまい打ち所が悪いと、痣を作ったり下手をすると口を切り血を流すことさえある。 壮絶な身体との闘いが四六時中展開されているのが、木村という身体自身であり、それそのもが木村の自覚のもとで態変の身体表現へと昇華されていった。 本当に凄い表現であった。ひとたび転がるとなると、膝をしこたまぶつけないと成り立たずなので、ガンガン床を打ちながらこれでもか、と繰り返される床面へのジャブは、見ているこちらが「木村、もういいから、そんな痛いことは、もういいから。」と止めたくなる気持ちを、いやいや、これで止めるとなると<お前は、危ないから、もう動くな、じっとしておけ>と、蔵に閉じ込めておくことと同じことになる。と、ぐっと抑え木村の不作為に見える身体のおもむくままに描き出す、寝転がりの動きの軌道を私は目を凝らし見つめるぐらいしかできなかった。 その内ようやく気づいて膝サポートを工夫したりしだしたのも、随分後になってからのことである。体力削りながらも、じっとするのは所詮無理な日常に生きているのが木村の身体なのだから、それを舞台表現として何とか成立させることはできる筈で、そうしないとその絶妙な在り方そしてエネルギーが無作為で済まされるのでは勿体なさ過ぎであろう、と正念入れてこちらも向き合うまでには時間を要した。 それまでは、木村の身体にとってある程度の好き勝手な無作為的な動きを活かし、舞台上で演技をするものを作ることが私の演出のある側面での仕事であった。 しかしそれだけでは悔しい思いに駆られることも何度かで、それは私だけでなく当の木村自身もであったのだ。 それを語れば切りがなく又記する時は後の機会に取っておくが、木村は態変の役者としてやったのだ、やり切ったのである。その木村の安らかな終焉は、決して悔やまれることなく、爽快に旅立つものであったと確信する。
木村年男が危篤である。
昨夜入院先の京都のH病院へと行く。何という事態であろうか・・・。 森永ヒ素ミルク患者として重度寝たきりの障害者に、赤子でなった木村。 態変の旗揚げメンバーなので30年にはなる。現在55歳だという。 喉に挿管され人工呼吸器を付け意識もない状態で、喘ぐように蒼白な顔で呼吸を繰り返す物言わぬ木村に久々に会って、『一世一代福森慶之介 ゴドーを待ちながら』済むまでは見舞いにも来れなかったことを詫びる。つくづくその顔は、全く老いは感じれなく、精悍さを秘めていることに驚く。 今回の原因の腸の働きであるが、腸だけが問題なければ元気になれるのにと思う。 絶妙な身体感覚の持ち主の木村の表現というか存在というか、それらの奇跡的な有り様がどんなに、人となりを成してきたかをつくづく感じながら、本当に凄い命丸ごとを舞台に表現していたんだと思うのである。 快復を祈る。
2012年2月5日(日)楽日
作家の高橋源一郎さんが雑誌GQ取材で来るはずが、急遽来れなくなって、雑誌社の人だけが来阪するという公演前返し稽古からだ。 楽日でも公演前の手なおしはやるのが常。この日私が集合時間に遅れながらも、みんなにダメ出しを、メール送信しホール現場で紙出しをやって、みんなへ回す手筈を取る。これは韓国公演での日々だったなぁー、と海外公演で付けた連携の力。それをやっておいて、舞台返し稽古はセレクトするのも制作の貴田ヘ伝え、私が行くまでに準備を指示。 少しでも舞台は生き物として、前の舞台よりも良いものにする。これは芸術家の欲としては当然で、私は毎回このやり方で気を抜かずクオリティーを上げていくのだが、今回は演出一本で客席から観ているという立場なので、さて今回はどうしょう、と思っていた。 自分の立ち位置の問題である。客席に怖い顔で演出に居られたんじゃ、役者も客もあったもんじゃない。かと言って演出が客席で一人ニコニコも気持ち悪い。 だがこの作品、そんな心配は無用であった。楽しんで客席からは観るように心掛けてはいたが、そんな心配は取り越し苦労とばかりに、屈託なくバカ笑いでき、本番に強い態変役者演技で、非常に面白かった。その分翌朝になり、返し稽古やったほうが俄然良くなる箇所を思うと、やはり放っては置けないだろうとメモ書きにし指示飛ばすわをやって、到着と同時にホールへと。 関係シーンとして音響と役者とで手直し。うん、これで良し! 前売りチケットがSoldoutになって、うれしい悲鳴の2回公演。当日券を手に入れようとする観客が有難いことに、早くから詰めかけて頂いている。この楽日では211名の観客に入って頂けた。188席だったのを200に増やした前売り券が完売で、当日券が11枚出たことになる。 ほんとうに!有難い盛況ぶり。公演中でも観客の反応は良く、昨日もそうだが笑いも大いに出て全体が一体感に包まれる。終演後の役者紹介に客席から、黒子の迎えで、私は車椅子押され初めて舞台へ。楽しんだ観客から、転じて出演者でもない演出家の顔として冷静な目で、観客と一人ひとりの役者とりわけ今回最後になるかも知れない主役の福森との、橋渡しを過剰にならずを心掛ける。 終わってロビーに出る。観客の反応は聞きたくなるというものだが、テンションは抑えて抑えて。 維新派の松本雄吉さん、第一声に「いやー、良かったわ。実は自分のデビューがこの作品のエストラゴンやってね。だから台詞は今なんのとこかが頭に入ってるんで、みんな判ったよ。舞台回す都合上で、微妙にウラジーミルと入れ替えてるとこなんかもね。」と、嬉しい反応。 たくさんの方々と話、笑い、多くを伝えて頂き、こんなに暖かく喜んで頂ける反応に出会えるのもそんなにはないこと。 一重に、態変の危機を聞きつけて「何とか、頑張りーや」という方々の気持ち、そして何よりも福森という態変の身体表現を体現し、貴重な役者の存在を大切にしたいという気持ち、それが二重奏となり、観客の顔はみな柔らかく悦びに充ち満ちてロビーには光が溢れていた。 観客へのご挨拶をそこそこ終わりにし、楽日で福森の体力すれすれなところ、軽く乾杯だけ済ませて慰労し早々に福森を帰す手筈へと移る。 舞台という、役者にとって踏めてなんぼの大切な場を、心を込めて一緒に入れる時間が少しでも長引くようにしばし劇団員一緒に佇む。それだけで幸せを感じれる。 予定とかではなく誰からか周りから自然発生的に、今日も来て頂けた写真家の福永さんに、最後集合記念撮影をしてもらおうということで、最大良い顔でみんなで写真に収まる。そして解散! 一週間後に改めて稽古場で打ち上げは持つということで、福森の気持ちも持続してもらって、という公算だ。 観客のみなさんへは、できれば又態変の舞台でお会い出来るよう念じ、『一世一代福森慶之介 又、何処かで』を至福な公演として最後までご報告できたことに感謝し、再会!! できることを。
2月4日(土)予定を15分遅れでp.6:40〜8:05上演(内休憩10分)終わりの挨拶5分、計1時間30分
その前の予定‐福森入りゲネプロ 氣合わせに舞台集合p5:45 チケットソウルドアウトで当日券発行を待つ人達は、予約販売場内整理をひたすら待っていただく光景は、寒い中本当に申し訳なく思う。これも、私が出演せず受付周りを見れるので、感じれたこと。 それ程、場内には大入りな観客に囲まれて初日を開ける。 上演では私は一観客として大いに楽んだ。 思わぬ観客の特に子供へ大受け取っていたシーンに、改めてこの戯曲の狙いが手に取るようにわかり、自分の感性がまだまだなのに気付いたり、と大いに満足な出来だ。 福森に牽引され確実に、役者達は力量を格段に上のレベルに発揮してくれた。これ程、主宰・演出としては嬉しいことはない。 福森も立派な姿を最後まで見せてくれ、大いに頼れる長老の風格を示してくれ態変の看板役者だ! 終演後ロビーへ出ると、観客の反応も凄くいいもので、なんだか伸び伸びしている印象。弾けているのだ。それでいて、しっかりと足が地に付いている悦びにそここが溢れている。 私は多く観客に声をかけられ握手をしたように思うが、いろんな貴重話しだが多すぎて、その場を過ぎると思い出せず、誰か横で記録して欲しいといった具合。しかし、はっきり言って疲れた。観客の感想を聞くのがこれ程多いとやはり、舞台へ出るのと同じぐらい疲れものだ。程々にするべし、と自分に言い聞かせる。 何れにせよ、うれしい悲鳴、である。
昨日の場当り予定より少し遅れて6時過ぎ、介護者の車に乗っけてもらって寒い中大助かりで、ホール到着。福森以外の役者はせいそろい。
● 場当り- 7時過ぎ〜9時半 美術の舞台位置確認にインターネットでやったのが、やはり奥行きが取れずに、現場で変更。 シーンでは演出でも、思わず笑ってしまう。観てのお楽しみなので、詳しくは書かないが。 純粋に演出だけに徹するというのは初めてのことだ。作・演出と舞台役者を両方やるのと、今回の役者をやらずに演出をやるのとでは、全く気持ちの持って行き方が違うという経験をしてる。 演出に徹すると、役者の度量へある程度突き放したもののみかたになるので、ある側面では楽である。 両方の場合は、演出することが、自分の役者としてのコンデションと役作りを、他の役者演技とを同じ線上にとらえるのできつい面があるんだ、と改めて思う。演出だけってこんなに楽なんだ、と不謹慎にも感じる次第。だから、場当りで思わず笑けたりするのだろう。 でもやっぱり、態変の一番のファンは私やで、と自認する。そう思いながらニヤケる余裕が、昨日のホール入りでようやく出てきた、ということは何よりも役者の精神衛生上には一番なこと。 さて、今日は初日で明日はもう楽日という短さではあるが、お昼に福森を入れた昨日の場当りを開始し、夕刻には観客をお迎えする。ドキドキ!
2012年2月3日
(まいど尻切れトンボになってしまう、ブログ公演記録。締めはやる気はあるんだが・・・。) アイホール、今日から3日間お世話になる。 昨日の夜、今回公演2日ともチケット完売、を早々に決め。 ● 入り日、仕込み・場当り 当初、福森が体調をはかり2回公演が無難、と決めて今日は仕込みだけで場当りとかはなしの筈であった。しかし今日に他の役者だけでもホール入りし場当りし、明日の本番前のリハーサルで福森を迎えれるよう下準備することになる。 驚異的な福森の、癌との闘いというか共生というか、この公演に向けての自己のテンション維持である。実のところは、放っておくと埋もれてしまいそうになる体を、必死に自分の舞台を務める気力を奮い立たせてるように、鬼の演出をやっている。 すると、驚くことに見る見る福森の顔がこちらの世界へしっかりと戻ってきて、シャッキとしてくるから、恐るべし役者魂!である。やはり痛み止の薬を本人、不安なのでついつい飲み過ぎてしまって、そのせいで頭が朦朧としているらしい。 別段癌自身はそれ自体で急を要する様な、急変させる病気ではない、と私は考えている。ので、ある意味癌と付き合う日常がありそれをつかむことでやりたいことは何でもできるし、特別にしない方が返っていいのだと考えている。 周りの期待に応えたいとするのは誰しも大なり小なりはあるし、役者となれば最大に大見得切りたい、というのはサガである。観客がチケット完売になるほど、福森を観たいと思ってくれる。これは、もう役者冥利の極みである。これに味をしめ、また舞台へ身体を乗せれるように、癌へもおとなしくなっていただかないと。
10/15(土)開演15:00
今回はわずか3回だけの公演で、しかも野外でのテント公演では絶対にありえない、お昼間の公演が2回である。今日からお昼でもう明日には終わりの楽日。もう少しやりたいところだがアイホールが、提携なので基本ホール代は掛からないがその代わり今年から、チケット料金×客数の1割+公演回数という支払いが生じるため、公演回数を多くするとそれだけ観客が見込めない場合は、大赤字が劇団に降り掛かるシステムになったので、回数を多くするのを避けたという事情だ。 昨日の初日は、新作『喰う』がネオ抽象としてある態変の作品を、観客の前に提示しどう受け止められるか、へハラハラどきどきで磨きを掛けた子供を社会へ問う怖さであった。 シーンが全て終ってから役者紹介に並び代えを大急ぎにやり、正式に挨拶を待つ薄明かりで、頭を下げると観客からの拍手がとても大きく鳴り響き全く止まる気配がなく、戸惑うほどの、好評の印で嬉しい限りだった。 終演後に私はいつもしないレオタード姿でホールを出ての観客へ挨拶する、という突発的行動に走った。それをもっと観客を近くに実感したい、と思ってロビーに出ホッとした訳である。 そうして中日である。 昨日の観客反応でアンコールの用意をすることにした。開演前袖中スタンバイ直前での舞台上氣合わせのときに、みんなへアンコール打ち合わせをやる。いつものように一端袖中へ引っ込んで観客拍手が鳴り止まないようなら、袖から躍り出るのではなく今回は舞台上にいたままで、一旦薄明かりに落とした後で、観客からの拍手が鳴り止まずアンコールへ移行していると私が判断すると、音楽の伊東さんへ合図を送ると伊東さんからピアノでショパンの「雨だれ」が彈かれ出す、という手筈を確認。 さあー、緊張の『喰う』2回目公演。 昨日より観客は若干減り、前の座布団の桟敷は誰も座っていない様子は、地続きの演技スペースからは受け取れた。だけど私の「充月」のソロ終わりで、微かに拍手が起こる気配が伝わるが、周りの反応で抑えられた様子。今回いつもの態変で使う袖の形を変えた。それが、立体感の出る良い感じの袖幕になり、しかも死角が出るものになったので、私は袖中から比較的舞台が見やすく通りに支障のない位置を、黒子に確保してもらい、そこで舞台上の展開を見守ることにした。好きなシーンはワクワクしながら見守る。 そして終わりに近づき、黒子によって挨拶への並び替えが終り、頭を下げる。すると嬉しい観客からの拍手が渦巻き、役者紹介共演者紹介が終わりもう一度深く観客へ感謝の頭下げ。と、間髪入れずで、「ブラボー!」の声が出るではないか!! これはダンスの賞賛で出るもので、天にも昇る気持ちで、直ぐに伊東さんへ合図を送る。 外にこの日も出る。知り合いが感想を言ってくれ最後まで残りパンフレット購入してくれた物に、伊東さんと私のサインを求められやる。この日も良い観客に良い舞台とさせていただく。 感謝である。
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