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3月1日
昨日の夜のオンライントーク、面白かった。 ひょっこり舞い込んだこの企画主催からの依頼に、ソロ『漆黒の赤』公演を控えて一般の人へ直接宣伝できるチャンス❢と、 喜んでお引き受けする。 しかし態変の作品の紹介で成り立ち等の話を聞きたい、舞台の写真とかも見せながら、ということを言われると こちらとしてはお宝アーカイブ映像を観て欲しいと編集して意気揚々と備え臨む。 これは、梅田Lterl というカフェバーがトークゲストを選んで月何度かやってるみたいな企画で、割と私は注目していたところである。 この日は司会にあずき坊主という吉本のお笑い芸人さんが選ばれてとのことになって、全く顔も見えない、未知の視聴者も司会者もだが、ようだから余計にワクワクと楽しみで遊ばせていただいた。 2時間もある企画といえども、しっかり内容も映像もとなると時間はあっという間に過ぎて、楽しく終わった。 いい話が出来て途中での映像配信に企画側が上手く行かないところがあったようで(私はメタモルでPCで、主催者提供のZoomを観ているだけだったので、映像は見れてなく)気になるところであるが、写っていればマレーシア公演の『フタンクナンガン』映像もあって、各セレクトした作品の名場面が多様で、これは是非とも観て聞いて楽しんでいただきたい。 3月14日まで有料でのアーカイブ配信で観れるらしい。 配信チケット ¥1,800 チケットはこちらから https://twitcasting.tv/lateral_osaka/shopcart/136825 https://lateral-osaka.com/schedule/2022-02-28-3498/ 「劇団態変・金滿里オンライントークイベント」 【出演】 金滿里(劇団態変主宰) 【司会】 あずき坊主(吉本興業・ピン芸人) #
by kim_manri
| 2022-03-02 08:20
| 芸術の庭
2月16日(水)晴れ 7/4
『漆黒の赤』その4,サルプリ(1)の続き 記録魔の私の労苦が実ったような、ブログ効果だ。 2007年5月29〜6月5日 母,金紅珠の足跡を辿る旅。これが元で、スルスルとつながって行く面白さをこのブログのお陰で味わっている。(詳しくは2007年代のブログでお読みいただいて) 2009年『ファン・ウンド潜伏期』初演の作品作りの元になる旅である。 この作品の1シーンにチェ・スンヒ(崔承喜)役がどうしても必要と、韓国舞踊で登場願うのにサルプリ(1)で書いた金君姫さんにその役で踊っていただいた。 1983年、時を同じくして態変と「生野民族文化祭」は誕生していた。「生野民族文化祭」で日本全国から集まって人気の農楽パレードの中心で、踊りと拍子の渦を指揮していた金君姫さんを、私は眩しく見ていた。その人に、この作品のシーン出演をお願いすることになる。 『ファン・ウンド潜伏記』初演の音楽を担当してもらった趙博(チョウ・パギ)。当時のブログでも「パギ」で出場している。そのパギのお連れ合いが金君姫さん、という縁だ。 2009年の『ファン・ウンド潜伏記』で、私は金紅珠役で短い「サルプリ」を金君姫さんに振り付けていただいて踊った。そして金君姫さん自身にも崔承喜約で踊っていただいたのだ。 私は母,金紅珠の後継者と母に目されながらも、3歳でポリオに罹患し重度身体障碍になったことで、その期待からは外され韓国古典芸術とは無縁の周縁に押しやられた者だ。その私が、障碍のままで韓国古典舞踊の正統な継承者の指導を受け、形を踏襲しようというのだから、受けて立つ側は相当な覚悟を要したと思う。 私がそれをお願いできるのは、金君姫さんしかいない。「生野民族文化祭」で、眩しくて羨ましかったその人に頼もう。 その辺の思いを正直に伝える決心で、君姫さんが教えている関西韓国YMCAの稽古場へお邪魔した。 訪問が2007年7月23日のブログに記されその最後に「サルプリ」を君姫さんはたった一人の私へ向け踊って下さった、とブログに記している。 しかしブログにも書いていないこと、 その時私の51年間引きずって来て決して口に出したことのない思い<自分が韓国古典芸能家の後継者という位置から障碍になったことで落とされ無縁だと思っていた韓国古典芸能を、生野民族文化祭でやっている君姫さんが輝いていているのを見てとても羨ましかった。>という、私にとっての君姫さんを話せずして『ファン・ウンド潜伏記』への出演交渉もないと考えての訪問だった。その話を私は君姫さんにYMCAの稽古場で、するのに自分の介護者も介護払をし、やはり尋常ではいられず恥ずかしことに涙ながらに話していたのである。 これは誰にも言えないことだった。それほど、私の表現への核心部分なのではなかろうか、と、あの時の自分の衝動には今も驚きを隠せずにいる。 そして翌年2010年、いよいよ君姫さんの指導の元で、古典舞踊の本格的長編9分の君姫さんが、訪問した私に踊ってくれた「サルプリ」を今度は私が教わり、私のソロ作品3作目の『天にもぐり地にのぼる』の1シーンに入れ完成した。 兎に角、『天にもぐり地にのぼる』での「サルプリ」では、私の障碍に応じ座ったままでの、韓国舞踊の形を私が舞えるように君姫さんに考案してもらわなくてはいけない、という形重視の古典舞踊からして非常に難しい難問であったと思う。 今、その「サルプリ」をもう一度踊りたい。と、今度の『漆黒の赤』に入れることにした。 その稽古をするにつけ、この振り付けに挑んで引き受けて下さった金君姫さんの、大きな度量に触れる。 金君姫さんは、偉大な私の師匠である。 9年前の『天にもぐり地にのぼる』の時の「サルプリ」とは、またやっていて味わいも変化し、深まった。 何度でもこの「サルプリ」だけでも、踊っていけたらと思えるようになった。 『漆黒の赤』公演情報 http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html #
by kim_manri
| 2022-02-16 22:11
| 芸術の庭
『漆黒の赤』のシーンで「サルプリ」を舞う。
「サルプリ」は私の『天にもぐり地にのぼる』の中で、韓国舞踊家の金君姫さんに振り付けいただき、舞った、韓国古典舞踊の一つだ。 今回はそこを紐とく 私の母は韓国古典芸術の、舞踊家であり伽耶琴奏者であり民謡の歌い手、といった大家であった。そんな親から10人姉兄の末として産まれた私は、幼くして才があったらしく将来は自分の芸の跡取りにと目されていた。 だが、私が3歳で障碍になったことで、ずっと病院と義務教育を受け障碍を治すというための、親と一緒に住む家のある在日コリアンが多く住む大阪生野区の、地域から引き剥がされ障碍児の訓練・教育収容施設に入れられそこで10年育った。だからそういう民族芸能の詳しいことには全く触れず、韓国語も話すことも書くことも、教えられず、できないままにきた。 私が大人になって障碍者の自分の人生を切り開くことで、態変を作りその延長線上で自分のソロ作品を、直接的には韓国古典芸術家であった母が1998年に亡くなることを切っ掛けにし、ソロ作品を演りだした。それがソロ作品一作目『ウリ・オモニ』である。 『ウリ・オモニ』は「私のお母さん」という、世界的な舞踏家大野一雄先生が自らの作品で最も大切にされている作品である。そのタイトル名をそのまま私のソロ作品に韓国語に変えて使わせていただくことを承諾いただき、監修もお願いし作るに至った。 その『ウリ・オモニ』の1シーンで私は初めて、母の十八番「僧舞」(スンム)という、韓国舞踊を舞った。しかししっかりと形を踏襲することは障碍のある私には無理なので、衣装は僧舞を再現し振り付けは自己流で舞った。 だがいつかは、自分なりのやり方でしっかりとした母に繋がる古典舞踊の形を習得しきって舞いたい、という思いはあった。 ** 話は遡って、私が家出をし障碍者運動の活動家をしていたのが1974〜1977年。その後私は運動組織のごたごたで活動家を辞め、障碍者の地域での自立生活を生野ではない当時豊中市服部で続けることで態変を旗揚げに至ったのが1983年。 丁度その1983年に大阪の在日コリアンが多く住む母の住む地域の生野区で「生野民族文化祭」という、在日コリアンの民族文化に触れる祭典が始まっていた。 その祭典の目玉だった農楽パレードをみんなを率いてやる中心に金君姫(キム・クニ)さんがいた。そのとき、光り輝く君姫さんは、まさしく奪われてきた民族の誇りの象徴であり、とびっきりの存在だった。 私は障碍者運動の挫折で自分にとってのアイデンティティがあらためて浮上して来た時期だった。結果、母親の影響である芸術の道に辿り着いていたのだが、それは障碍という唯一無二を武器にアバンギャルドな方法を開拓はしたが、障碍者運動の挫折からの自問に韓国の民族性というものへはやはり障碍であることから、及び腰だった。 だから強い憬れと、障碍を理由に入れてもらえない民族のコミュニティへの現実に落胆させられる思いで、民族の中にある障碍者差別を感じるばかりであった。 それが態変を立ち上げ芸術活動として継続でき海外にも招聘され海外でこそ批評としても認められ、そして年月が経ち母が亡くなり、母の足跡を辿る旅に出ることで、再びその出だし 古典芸能の継承者として障碍者はダメなのか、といった私が障碍になって最初に貼られたレッテル、に、ずっと障碍を強く否定される思潮に引っ掛かりをもって生きてきたということ。その疑問を抱くことで、自己認識がありアイデンティティがあった。 だから、母の死によって、そのループが引き戻されるようにして結い直しが始まったのだ。 『漆黒の赤』公演詳しい情報→ #
by kim_manri
| 2022-02-11 16:24
| 芸術の庭
2月7日(月) 曇り晴れ 8/0
昨日6日、いつもの日曜稽古。 この週は、1月30日日曜と2日後の2月1日火曜日が立て続けの稽古をしたので、結構きつい週だった。 態変事情を何度もいうようだが この3月公演へは、昨年11・12月に連続での公演で、おまけに12月は三部作一挙上演横浜ツアー公演、という超ハードな予定を敢行し、3月公演の準備に手が回らずであった。 バックステージとなる黒子やテクニカルを担ってくれている部分が、さすがに時間を捻出できず不参加者を多く出ることを見越しての、心細い出発だった。何とか、今回新たに一緒にやれることになったテクニカルも見つかり、 その初顔合わせが2月1日稽古だった。 黒子は前からの黒子の参加表明が1人いてくれ唯一心強いのだが、まだ1人の黒子が欠員のままだ。 だから今明かすと、稽古の黒子は、制作が黒子をしそして古い黒子でほとんど現役引退気分でいた、私の連れ合いまでも駆り出し、2人目黒子を努め進めている、という。本当に大変なことになっているソロ公演の実情なのだ。 これはハードな公演を敢行しただけがこうなった理由でなく、やはり2年続くコロナ禍が態変の芸術活動へも影響をきたしているのである。 又してものコロナ第6波が騒がれる今日的状況下で、それでも、 舞台があってその板に乗れる、ということがどれほど重要で有り難いことか、がこういうことで尚身に沁みて判るのである。 舞台公演が出来る機会は絶対に手放さず、死守して行くこと。それには、私一人のソロ公演のまだフットワークの軽さがある利点で乗り越えられる。これまで、態変の危機を私のソロ公演で難を防ぎ、次に備え助走を付けて来た。 そういった折この日の稽古、黒子として元気な若者参加の唯一のNが、PCR検査という事態となり一時は慌てる。が、陰性との結果が早くに判り、ホッと胸をなでおろす。だが用心をとりこの日はお休みとなる。 そしてこの週に、黒子候補女子1人が現れ、面談する。ガッツのあるしっかり者の様子。2月半ば以降での稽古参加からなら来れるので黒子をやって行きたい、ということになる。 こちらがやりたいという気持ちがあれば、何とでも状況は付いてくる。何とでも、何とか、なる。これがこれまで私が態変をやって来た信念だ。 今日、『漆黒の赤』フライヤーが刷り上がって来た❢ 東學さんデザインだ。學さんに私は、難しい難問をふりかけた打合せだったが、見事に返してくれた。これは、凄い❢ ものができたと思っている。これまでのフライヤー感をぶっ壊す、会心のものではないか❢ 私は、いい気持ちだ。 #
by kim_manri
| 2022-02-07 23:46
| 芸術の庭
『漆黒の赤』稽古の日。稽古の日は朝から緊張である。 今日はもう1人の黒子募集で面談した子が稽古見学に来る日だったのが、やはりハードそうだと思ってか 黒子参加は辞めておくとの連絡があって来ないことに。 それでも、メイクのかおりちゃんパフォーマーの小泉、の2人が立ち会いでいつもよりも賑やか。 でも、狭い稽古場で、着替えの多い私のソロの作り方では、着替えの度に場外へ退出願うので、出たり入ったりが頻繁で慌ただしく落ち着いてみれる環境にないことが申し訳ない。 私は個人レッスンを昨年暮れから始めていてそれを数えると5回だが、 黒子も集まる所謂全体稽古になって4回目となるこの日。 肝になる布のシーンでの試作稽古ができる。 今回の新作ソロ『漆黒の赤』作りは、これまでずっと監修をお願いしてきた大野慶人先生がお亡くなりになって初めての作品。監修は自分でしないとダメなのだが、これが難しい。 この一週間前の23日(日)稽古で、シーンに大事な衣装について、稽古後ビデオで撮った稽古模様を見て、 その衣装がやはり見当違いが自分で判り、慌てて行きつけの衣装屋へ日を変え、飛び込むように行き仕立てることに。 態変では演出の私がいるので、客観視は前提であるが、監修の師亡き後の自分のソロ作品作りは、誰もみれる人の居ない、孤独な闘いだと改めて思った。まだまだ甘いところがあると思い知らされるできごとだった。 これからの稽古では、そういう中身への向き合いで課題克服の時期だ。 劇団態変よりも、私のソロ作品作りは、独りで演じきるのだから、当然一つの時間に懸ける集中度は 高くしないといけない。クオリティーも然り。黒子の果たす役割もまた別次元で必要で、そして一段と上である。 明日は照明・音響・舞台監督といった舞台のテクニカル面を担う外からのバックステージ者が揃う稽古である。 通常態変の新作ならばまだまだ出来ていない時期だが、私のソロ作品(新作の苦労はあれども)の良さは、 閉じた作品作りで少人数でクオリティーも問題にしやすいという利点は大きい。 完成度をある意味試すにはちょうど良い時期の外の目を通せる稽古だといえる。 さて、明日はどういう稽古になるか? ガシガシと実を取らねば、もうひと月前が迫ってくる❢ (写真:タイトル 君に上げたい一輪) #
by kim_manri
| 2022-01-31 16:51
| 芸術の庭
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