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今回の公演企画実行委員のNさんも久々の訪れと言う車の運転で、一行は実行委員長の筑波大の学生のOさん・もう一人の映像掛かりの同じく実行委員の(名忘れ、スンマせん)社会人の男性、Nさんの奥さんのMさんと2人のお子さん4才になる維更、私と態変スタッフの大野、7名車3台で向う。Nさんの記憶を辿るようにして、でも以外と-百体摩崖仏-とか-閑居山願成寺-と、道路表示されていて手掛かりとなる。
もともとは志筑山という山なのだそうだ。ここを訪れた弘法大師が、霊的なものを感じ中腹の洞窟に閑居したので、閑居山と呼ばれるようになったという。花崗岩盤の山肌には、鎌倉時代の作といわれる-百体摩崖仏-があり、その昔弘法大師の草創と伝える志筑山惣持院願成寺があった。その中興の祖乗海が手彫りした、とのこと。おびただしい数の掘られた仏が残っていて、ちょっとした名勝指定をされているとのこと。 私は車イスなので、山肌の所までは見には行けなかったが。それでも山の奥の方を目を凝らすと、ボーッと石塘路が幾つか見えて来たりして、ぞくぞくと見えないものが確かにいるぞー、といった風格のある山だ。 兎に角、閑居山の裾に繋がる道路道に車は付けれた。そこには今か今かと若和尚が、待ち構えていてくれて、太い編んだ縄を車イスを引っ張るのに用意したと手に持っている。薪の火で羽釜で炊いた飯が一番のご馳走と、それを是非食べさせたい、と米はないのでNさんに買って来てくれとのことで、途中車はスーパーへ立ち寄り米は持参した。 車から降りて、細い足場を確保しただけの車イスはようやく通れるかといった山道を、最初は4人で車イスを押すというよりも、押し上げると言う具合に登って行った。 若和尚は「しかしこれはまだ道として確保されているだけ増しで、マハラバ村があった時代は、もっと道なき道で険しい所もあって、障害者達は自分で上がれる奴はズルズルになりながら、和尚がおぶって行く奴もいたから、当時とは比べ物にはならない楽になった」と言いながら、一番の難所ではやはり若和尚が、縄を私の足下の車イスに縛り、肩に掛け背中一杯で引っ張り4人+若和尚で上げた。 そこは、一面の平たい大地が広がり、綺麗さっぱりと野っぱらと化していた。Nさんも驚きの声「前はまだお寺の残骸があったのに、みんな和尚一人で片しちゃったんだ! 片してどうしたの? 薪にしてして焼べてしまったんだ」と。若和尚は何にも言わず、聞き過ごしている様子。 Nさんの知る最近まで、願成寺が潰れてぺしゃんこになった状態で、残骸がこんもりとあった、と言う。 私は態変の『マハラバ伝説』の最後のシーンでは、こつ然と消えてなくなった廃寺、として作った。記憶する人の中だけにある、願成寺として、その記憶からも消し去るような深い喪失感を。一度無くした大切なものは、どう足掻いても元には戻せない、背負い続ける記憶する人。としてこの態変の『マハラバ伝説』の舞台の最後を締めくくった。 私にとっての願成寺にあったマハラバ村は、始めっから真っ平らな野っぱらとして、その時にはあった。そして若和尚の、薪での羽釜の飯炊きが、イベントとして始まった。若和尚が用意した、水戸納豆の旨いこと。そして有機卵と塩だけで漬けられた自然派の味噌。確かに、薪で羽釜で炊かれた飯は、天下一品の旨さだった。一生忘れまい、この味は、と思いながら朝食抜きで訪れた空腹に、何度もお替わりして一杯腹に詰め込んだ。 そう、雨風しのげる屋根があり、潜り込める布団がある庵があり、天と野原があれば飯が炊ける米粒さえあれば、唯我独尊。この風の中に、そして山の中に、全てお見通しの全てが有る。
by kim_manri
| 2009-06-06 19:24
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