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,,~目座視89~"
みなさま、うっとうしく長引く梅雨に、お元気ですか? 私はインフルエンザ(一説によると豚インフルではないか?と)に罹り40℃近い熱で、もう罹って二週間は経過するにも拘らず、ようやく微熱が収まってきたというところです。 みなさんもご自愛くださいませ。 さて、茨城公演以来の、通信となります。 おかげさまで茨城公演、私にとって感慨深くそしてなによりも、終演後の割れんばかりの感激的な拍手を頂きました。 これは私にとって、己を形成させた障害者運動の青い芝の会との、長年引きずって来た後ろめたさから解き放たれるということで、どんな所で受け入れられるよりも重要なことでした。 『マハラバ伝説』の故郷=伝説の地に無事着地し、作品が受け止められた大きな安堵感というか、故郷の懐に大きく迎え入れられる悦びとはこう言うことか、と教えられるような拍手への感激は格別なものがあったことを白状します。 帰阪して休む間もなく今度は、いよいよ態変秋のテント公演に向けた新作の台本書きに突入。やはりこれは茨城での『マハラバ伝説』を通過しないといかんかったわな、と一人納得しながら。 私にとって重いテーマである、朝鮮(韓国)と日本の狭間、に向う"民族"を扱うことにした。 タイトルは二転三転しながら『ファン・ウンド潜伏記』に決まり。 ファン・ウンドとは人の名前である。勿論韓国人の。実は私もこの名前を正式に知ったのは昨年あたりからである。 この人は私の母の一度目の夫であり、私以外の姉兄達の父であり私にとっては義父ということになる。 姉たちも父の名前に付いてはうろ覚えで、「ウンドじゃない。コンドだ。」とかいい張っていたりしていたほど、兄姉たちは日本で育って生活するのに追われ、日本語しか知らない戦中派。親の名前の母語読みには自信なさそう。 母が日本に来る切っ掛けの夫であり、日本での戦中唯一と言われる朝鮮古典民俗芸能をやる一座を、母の芸能を看板にして立ち上げ、今でいうプロデューサーをしていた人。ここまででもその功績というか功罪というか、朝鮮を支配していた日本のその日本の地に赴き、当時の日本の差別のただ中で朝鮮の古典民俗芸能を上演していたというのだから、大胆不敵さは充分に驚きではある。 昨年解ったのだが、この人物は民族独立運動の生え抜きの闘志だったということが、ひょんなことであぶり出されて来たのだ。 母は子供たちにそのことを決して口にすること無かった。実のところ母自身もはっきりとは夫に活動のことを聞かされること無く、芸人馬鹿で通したのではないか、と思われる。 この話は親たちは他界し、聞くすべもない遺児に取っては、まさしく青天の霹靂である。 そしてお負けに、韓国の郷里で幼い頃ファン・ウンドを知る、という方が今も郷里に高齢になられて健在なのだが。その方が、日本の敗戦後に日本に商用で来た時に、偶然ファン・ウンドと電車 に乗り合わせ、ファン・ウンドの方が気付いて年の随分下であったその方に「〜〜の弟じゃないか」と、声をかけられ感激の再会を果たした、という。 そのとき懐かしがったファン・ウンドに、自宅へと誘われたがどうしても抜けられない仕事の為に、その誘いを断って別れた。 間もなくファン・ウンドが日本で死んだ、と聞きあの電車での再会がファン・ウンドとの最後になってしまった。そして「どうしてそのときに、誘いに乗らなかったのか、と思うと悔やまれる」と仰る。その人が、その無念の一点で、ファン・ウンドの名誉回復に自分の余生を懸けていると、独立運動の功績を韓国政府へ書類を作成し申請してくださった。 それが昨年韓国政府より通り、ファン・ウンドは、韓国の独立に寄与したということで、名誉回復の勲章授与決定となった。日本にいる遺児へ、贈られた、という後日談まである。 何とも不思議な人の縁。まるで予め予定されていたかのような、一人の力ではどうにもならない、長い年月の中で姿を現す人と人とが織り成す、まるで機織りの縦糸と横糸の妙が見事に一枚の布に仕上がる様である。 このようにして、人の運命や人生が、その人がいなくなっても立ち現れて来るものがあるんだ。何か時空を超えた歴史そのものいやもっと、死しても尚そこに息衝く確かに生きた人としての、壮大なものに立ち会わされるということが、自分の身にも起るんだ。と、驚嘆するばかり。 後日談はともかくとしても、ファン・ウンドという、一人の男の人生を、私なりに舞台する義務があるのではないか、と思う。それで今回とうとう自分の民族問題へ、観念し近寄る機会を得たと言う訳なのだ。 新作に向け、又、通信して行きたいと思いますので、宜しく付き合いください。今日も小学校夏の企画に小学生70名程へワークショップを頼まれ、一時間だけして来ました。明日は、情報誌イマージュ対談収録に、奈良まで行きます。兼ねてから、お話しさせて頂きたかった俳人の花田春兆氏とです。凄く今はそれが楽しみです! ---'09.7.24(金)金満里
by kim_manri
| 2009-08-06 16:11
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