公演後の韓国の旅路として選んだ9/29〜30・10/1〜3、は韓国のお正月に次ぐ二大先祖への法事が行われる、秋月(チュソク)といって旧盆の日に当たっていた。
日本では新暦でしか考えていないが、海外での特に中国の影響の強い国では、旧暦での儀式が多く祝日が思わぬときにあったりして、慌てることも多い。
このときも、日本から発つまでは全く気が付いておらず、韓国に到着して韓国の人に電話連絡取ると、「韓国は大事な法要で、家族が帰省して来るのでどうしょう」と慌てられ、あらら、チェックすべきだったということに。
『ファン・ウンド潜伏記』公演終わりの直ぐに、韓国の旅、と悦に浸ったのは、ファン・ウンドの故郷の固城への報告も兼ねてと思ったからだ。それは『ファン・ウンド潜伏記』の終りのシーン
-ファン・ウンドの魂が、故郷の山河を眺めながら帰って行き、日本に残した妻の金紅珠に、自分は韓国と日本の虹になるから、日本の地でしっかりと自分が残す子供たちを育ててくれ。革命の死んだ同士よ残る未来の子孫よ、目覚めよ、そしてどうか忘れず、志しを伝えてくれ- というところの現実版として、報告がてらの韓国への旅であった。
その固城入りする当りから、韓国全土の祭事の様相に我々旅の一行は驚かされた。釜山の商店もみんなシャッターを下ろし、大道路も人影は消え、あんなに煩かった店店からの喧騒の音楽もぴたりと止み、人々が郷里へそして各自の祖先へとひたひたと向っていた。
そんな日に固城入りし、改めて祭事には家族ではないと、その場へは迎え入れられるところのなさを、私の引っさげるファン・ウンドと共に感じていた。やはりよその地で死した者と、そして私自身の寄るすべのない家なき子としての、徹底した異邦人さとでも言おうか・・・
しかし、それはある意味、心軽く清々しさであった。