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5月4日(火)ワークショップ2日目の今日、昨日があまりの重厚なワークショップとなったので、今日は少々疲れ気味でワークショップ会場へは、少し遅れて入ってしまった。
少し軽めにやる日も良いかもしれないと思いながら、氣合わせをやる円陣を組む集合をかけ昨日の返しの後『ファンウンド潜伏記』のダイジェスト版10分の物を、皆にみてもらう。しかし、単に観せるだけではやはり終わらず、場面場面の説明を入れることにやはりなってしまう。その方が内容として良く受け止められたと思う。 そして、身体のレッスン。昨日終わった所にすぐに行きたかったが、それはやはり初心者を相手には無理な話。氣合わせから昨日の所まで行くのに1時間はかかってしまった。その後、立てる者が立ち上がるという所までなかなか行かず、私のワークショップや研究所でもいつもそうだが、寝た切りの大地の存在を強く感じれば感じる程、そしてそれが私の表現の基本として押えれば押える程、床面から離れ難い身体となり、立てる者がなかなか立とうとしないという現象が起こる。今回はもっとその様子は立てる障害者に強く現れ、座り姿勢まではなんとかなるのだが、全く立つ気配がない。 1時間半開始から経過しても集合としての身体に立ち姿勢が現れないので、空間の氣として変化が起きなく、昨日の終了止まりの身体に全員が留まっている状態。 これは休憩を挟む時間となり無理矢理全体の身体進行を止め、休憩を言い渡す。その際、寝姿勢・座り姿勢・立ち姿勢のそれぞれの持つ特色を引き受ける、ということ抜きに身体表現はあり得ないと少し厳しめに伝えその状態へ休憩後再開するレッスンではみんなの課題とするというディレクションを挟んで休憩に入る。 30分近い休憩の後、すぐに目標の三姿勢の群舞への入り際にまで持って行く。なかなか立つということを引き受けるのには、私の身体表現レッスンにおいて非常に意識的な転換と立つ勇気というものが必要になる。休憩後に立ち姿勢をとる障害者の中から、今日は熱があって体調が悪いという理由から見学に回った障害者もいた。 この一般社会にある価値の転倒、といった自体が私のレッスンには起きるので、かなり誘導を指導として入れながらなんとか立ち姿勢を取れる者が立つところま持って行き、その三姿勢がいい空間配置で非常に無理なく障害の動きを内省の期として楽しむ所まで来た。そうすと転がりのできない、全く寝たままの障害者で最後まで残っていたソンランが、横床づたいに自分の足を僅かに動く手の指でひっかけ肘をつき出しそのままとんでもない姿勢で横から上体を肘をつきながら必死に起こしだしたのだ。私は昨日は舞台上で(今回のワークショップの場所は大きな行動の木の舞台上を使っている)車イスに乗りながら、定位置で指導したり必要と思えば車イスを介護に押させその障害者の所に横付けし話しかける、というのをくり返していたが、今日は舞台を下りみんなの視線からは遠く離れた観客側へ行き、声をマイクが拾うものだけがみんなに届く形を取り入れ行っていた 。 だからソンランのその姿勢も客性の遠目で変化を見ていたのである。初めは立ち姿勢をとる者が現れ単に自分が置いていかれるような焦りで、所謂自分もみんなのように姿勢を高くしたい、といった健常者幻想の現れか? これは下手するとがんばりズムになってしまうぞ? と危惧しながら見守っていた。 しかしどうもそれにしては彼女の取る姿勢が一定していて揺るぎなく確固とした内面から出る、必然性のようなものを感じとることが出来た。やはりなんとか彼女の座り姿勢に向おうとするその身体の方向性に対し、促す方向性を持ってあげたい、と思い出した。そして座り姿勢をとる障害者の参加者の中で非常に器用に動き回れるミンナンに彼女の左肩を起こす方向に少し手助けをしろ、とマイクで指示をする。そして彼女は座り姿勢になれた。 その彼女の背中をやや向けた斜めに足をまっすぐ伸ばし座り姿勢をとる独特の形に、何とも言えない秘めたる意志の魂のようなものが見てとれて、とても魅力的に感じ舞台上の彼女の姿勢を見届けなければ、と思いスロープのある舞台上へと上がって行った。 すると私が見ている見ていないは関係なく、彼女の黙々とした前屈みに折れた身体が何かもぞもぞと確かに目的を持ち、その方向へと身体全体が芋虫のように確実に動き出している。としばらく眺めていると、驚くことに、彼女の腕が床面をしっかりと手の平で支えそして体を前に運んだのである。その信じられない現象としかいいようのない不思議な瞬間を、私はしっかりと見届けたのだ。少し私は自分が見ているのは錯覚なのか、幻想なのか、いやしかし確かに彼女は自分の力で自分の身体を前に運んでいる、これは彼女にその瞬間を取らまえて聞かなければいけない。という私の衝動で彼女に「スンラン、今それは自分で動いているんじゃない?」すると彼女はウンと頷いた。信じられない奇跡が起こったのだ。その奇跡の瞬間に私は立ち会っている、立ち会えている、というなんとも言い難い、努力もので歩けなかった障害者が歩き出した感激ドラマもの、のようなそな甘い柔な感情ではなく非常に非常心でしかし、しっかりと必然性を見届ける記憶とすることが必要なだけだ、という。しかし何か非常に大切なものが大きな喜びとして確かにあるそんな場面に遭遇したのだ。 そして私が全員を止め、課題設定の提起をやることにした。ソンランの変化を見て、私はみんなへこの稽古が出来ると確信を持った。ので、それを今からみんなでやってもらう。 上手下手に半分ずつの人数を振り分け向い合って一列に並び見合って、相手を敵だと思って闘いを挑みに進み出ていく。これは私のレッスンでは一つの課題としていつも行う。ークロスーというものである。ソンランはゆっくりと遅くじわじわとしかし体を投げ出すときにはしっかりと前へ投げ出す。他の上手下手のクロスは相手の陣地へと交換がスムーズに行く。しかしソンランは簡単に相手には通り過ぎられ、自分の身体を通り抜けられる様。全員がソンランとクロスしそれでもソンランは黙々と自己の身体と向合い進まねばならない。全員がソンランとクロスを終え、ソンランの後ろへみんなが回ってしまった。そしてソンランの前には向う敵が一人もなく、目指す方向には誰もいなくなった。しかしソンランは進まねばならない。そのとき私はソンランを先頭にして、後ろに溜ったソンランを通り抜けた人たちが、群衆となりソンランと距離を保ちながらソンランの全身のペースを侵さず後に空間として拮抗しながら全部を押し上げていく。そんなイメージが湧き上がった、そしてそのように指導していた。すると全員全く始めから了解していたように、私の指示が伝わりそのようにソンランと群衆という形が出来上がった。 それはじわじわと恐ろしく美しく緊張感と緩慢さが相まって、何とも言えない宇宙の法則を描く様に、淡々とそれは時間をかけしかし時間も消え延々と続いても見ていられるような、そんな至福なしかし確実に優雅に闘いに出るようなシーンとして出来る様であった。 下手から上手へ進むそのプロセスの中で、ソンランのその変化その単調な不屈なくり返し、を全部のものにすることを上手近くまで、全員で行った。
by kim_manri
| 2010-05-04 23:53
| 芸術の庭
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