この冬に私はインフルエンザなるものに初めて罹った。
そしてノロウィルスにも。ヴィールスオンパレードだ。
ノロに罹って初めて、食べ物に全く無関心になる、ということが感情としての問題でなく生物学的に起こるんだと感心した。
何だかんだといっても、ヴィールスに支配せれるとその一瞬で、吐き気と胃が全く動いていない状態に変化し普段の体の機能とは全く異なると同時に、食に対する感覚までが易易と変化させられる様相に、正直自分の本質が変わってしまう危機感すら覚えた。
感情や精神といった、大事だと思っている自分の本質と思っているものも、単なる生物として生きれる方向でしかないものを、本質と思い込んでいるだけのことなのかも知れないな、と自己への確信に揺らぎを覚える。
それほど、生物的に(言い換えると動物的に)生きるということと、自己として生きている、という間にはどんな違いが有り何がそれを分けるものなのか、といった基本的な問いかけをやってみる必要がある。
人類よりもこの地球に長く生きているであろうヴィールスに、個人の人格までを支配されるような経験は、ある意味新鮮なものだったし、そこから派生し自己というものの危うさは今の不穏な時代に来て、あっ、という間に根こそぎ変えられてしまっている怖さも併せ持って感じ入った次第である。
今回の『ミズスマシ』は、人類が絶滅した後に、それでも残る痕跡としてのものは一体何なのか。
変容し生き残ることはいいとして、そうすると移ろっていくだけで、全て消えて無くなってしまうことはどう捉えるのか。
といった答えではでない、循環に備える耐性が必要なのかもしれない。