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6月18日未明、松本雄吉が死去した。
私が態変を旗揚げする切っ掛けともなったのに、「維新派」があった。 それは障碍者運動から身を引いた時期、時間が一杯あって介護者に維新派の役者をしていた学生がいて、チケットを売られ、観ることになったのがきっかけだ。 しかし噂は知っていた。 私が障碍者運動の活動家をしていた終わりの方で、その運動の周縁にいた健常者に「変なことをしている、維新派という表現集団がある。」と耳にしていた。 その後に実際に観た維新派は、 秩序、というものを破り、全くもって破天荒な行為を、観客お構いなしに主眼に見える世界観をしかも膨大な野外セットで繰り広げていた。それは、野外という厳しい条件に、丸太を組んで作る重高層の建物をおっ立、雨でも嵐でも悪条件の中つき合わせ、観る方の苦行を強いる芝居作りであった。 初めて観に行ったとき、にわか作りで泥除け板を引き詰めての悪路を登って行く、野外のその場所の前で呆然とするも気を取り直した私は、「車イスで担いで登ってくれたらいい」と、裏方関係者にいうと、屈強な男衆がサッと集まり担いで運んでくれた。私のそれまでの社会変革運動の陥りがちな閉塞、から離脱し次の生き方を見つけれず浮遊した感覚に、車イスでそこへ行けるか行けないかは環境の条件ではなく、人の条件なんだ、とアングラの心意気を知ったのもその当時の維新派で、それは今思うと大きかった。 維新派が堺に作ったアトリエでの公演も観に行った。松本雄吉は演じ手として、絢爛豪華な仏壇を床下に設えそれが床から迫り上がってくる中に松本雄吉が一人で居た。床下から迫り上がる落下と上昇の狭間で、役者松本雄吉のソロはあった。そこにいるともいないとも唯”在る”不思議なソロがあった。その妖艶で尚且つ無の佇まいに圧倒された。 維新派の松本雄吉のそんな在り方に、こんなことをしていいならば私も芝居を作れるじゃないか、と思わせたのだ。 小演劇という反逆的な、世界を表からだけ見ず、全く裏側で感じ見ざるを得ない、正直なささくれた引っ掛かりを中心に据えた身体を張った世界観、その美醜そのものであった。 その後、自分も芝居をやる側になって、松本雄吉と顔を合わせる機会が来て、私はアングラの影を背負う風貌に親しみも込めて「おっさん」と呼ばせていただいていた。しかしある時松本さんから「おばはん」と、呼び返されてさすがにその応酬ではだめだろうと、「松本さん」と呼ぶようになった。 そして、イマージュ対談も2度やっていただいている。そしていつしか態変も関西小演劇での古株となっていた。 しかし松本さんは、本当に、どこまで行くの?というぐらいドンドン、単なるアングラではないメジャーな場での演出家としてもその活躍の場を広げた。紫綬褒章のときは、私が電話で「これは、断ったほうが、格好よかったな。」と、いうと、しがらみがあって…、と否定も肯定もしなかった。劇団、を持つことへの意見も、私は一劇団がコミュニティ化せざるを得ないことへ、拒否感がある、と言うと、松本さんは「村(コミュニテイ)社会は、嫌でないよ。」と、意外な意見だった。 松本さんの孤独感と、観て欲しい人に届けたい、という心の在処を探す旅は、瑣末なことを頓着していないのだろうと理解した。 今や関西だけでなく、日本の演劇界にとって重要な人物となった、松本雄吉、だが昨年も野外公演を奈良の室生寺で行って、決して野外を捨てず、松本さんにとって野外の魂は根本を成し、譲れない真髄で一貫し、貫き通したのだ。 闘う朋友であり、先を切り拓く前を常に歩いてくれている先輩としてあった、松本雄吉が逝ってしまった。 (写真2012年7月24日)
by kim_manri
| 2016-06-19 21:42
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