ほんとうに14年ぶりという歳月が流れていた、私の大好きな沖縄の八重山群島の、西表島を訪れる旅に行ってきた。
今回の『ニライカナイ-命の分水嶺』というタイトルを付け態変新作公演を準備する、前祝い祈願でもあるそれは、稲作文化でのお正月祝にあたり、今年は11月13・14・15日にあった西表島の祖納で毎年行われる、「節祭」(シチ)という祭祀に合わせて準備した。
西表は、私が劇団態変の着想を得た、特別な地だ。西表島の今は、広大な原生林に囲まれマングローブがもっとも広がっているとし、世界遺産に指定されるのも近い。原生林の懐深い密林のマリュドゥの滝が有名だが、そこへ行く。小さな観光船が停まる浦内川の河口だ。
36年前に、一人車イスで佇み、大自然の脅威へ対峙するとき、小さきひ弱に見える存在の自分と、大木にしがみつくようにして生きる蟻の姿に気付いて、同じものを見つけ、ある意味思想に行き着いた大事な場所。
宇宙観の逆転、とでもいうか。
大きな木は、自分の体に蟻が這うが何をしようがお構いなく、自分が生命の全てを形成する一つの宇宙を持っている。蟻は蟻で、そこが木であるかどうかにはお構いなく、自分が生命の全てを形成する一つの宇宙を持っている。普通の関係では、これを大宇宙と小宇宙の関係、というのだろうが、それは傍目で見た一方的な見方なのだ。一つの宇宙観には、大も小もなく、それぞれに独立した宇宙観を持っている。それが必死に生命の営みとして活動していて、絶妙な循環の中にいるだけではないだろうか。
そう思えた時に大自然への脅威は消え、宇宙にある自分の存在を受け入れた感じがし心地よくなった、という経験があって、なぜかそう感じた直後に「私、身体表現するかも」と閃いた。
兎に角、西表はそれほど、圧倒的な原生林に包まれその懐に委ねられることを善しとすることで、生命がある、と本来の命の智慧が戻って来るのだ。
今回の作品が、態変を創り出す源泉をフォーカスする、大事な時期に来たと予感する。
(写真:マリュドゥの滝へ行く浦内川を観光船で上って行く。1つ目,岸にイノシシの子供、ウリンボウが水中に顔をつっこみ餌探し。2・3つ目,マリュドゥの滝へ行く河口へ降り立ち、表現を閃いた場所を探してみる。