1月27日(日)
2019年1月ももう4日で終わる。
そして2月、『ウリ・オモニ』公演、が近づく。
今日、稽古。
ウリ、ナンピョン(うちの旦那)がフェイスブックへ稽古後に載せてくれた、文と写真をここに留めておきたい。
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仙城 真
金滿里ソロ『ウリ・オモニ』2月8〜11日 東京・下北沢 ザ・スズナリにて
詳細は→ http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
写真は、第6場「滿里の僧舞」
僧舞(スンム)は、韓国古典舞踊の中でもなにやら神秘的なところのある人気演目だがとても難かしい舞だそうだ。
金滿里の母(オモニ)である金紅珠はその名手だった。
白黒の写真は金紅珠の公演のスナップショットが奇跡的に残っていたものだ。戦後の混乱期に、民族の芸能に飢えていた在日韓国人たちがなんとかして会場を確保してこれを観ようと集っていた熱気が伝わってくる。(ステージに張り付いているイチビリのちびっ子がなんとも言えない!)
金滿里は、母の舞台を観たことはない。
だから、紅珠の僧舞は、滿里にとっては幻の舞である。
3歳でポリオに罹患して全身麻痺の障碍者になるまで、滿里は早熟な舞踊の才能をみせていて、紅珠はこの娘を自分の後継者にしたがっていたらしい。
その娘が重度障碍者になってしまったことでの母の激しい嘆きは、その娘に深い傷を残した。滿里は「そこから母と私の生きる途は二つに別れた」と云う。
健常者文明の古典芸能と障碍者の最前衛芸術。遠くて近いということを知るまでの、激しい確執を経てきたのだと。
母の死に向き合って、「葬送の舞」として、自分にとっては幻の舞でしかない僧舞を、滿里は魂だけで舞ってみることにした。
20年前の初演の時に、客席で滂沱の涙を流していた老齢の紳士が居た。かつて金紅珠の公演の太夫元(プロモーションのような業務)をしていた金基彦氏だった。形は違ってもあの僧舞は金紅珠そのものだった、と。
僧舞の最高潮は、太鼓を激しく打ち鳴らしながらの舞である。実際の僧舞ではしっかりした台座に据えられた太鼓が舞台装置として置かれている。
『ウリ・オモニ』では、黒子が太鼓を運んできて手で支えて滿里が打ち鳴らせる角度に保持する。
かつての金紅珠の公演の写真をみると、当時は設備が無かったのだろう、スタッフが手で太鼓を支え持っていた。
『ウリ・オモニ』第6場「滿里の僧舞」は、そういうシーンなのである。
東京公演本番まであと12日。
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(今日の稽古での-滿里の僧舞-)
(数少ない金紅珠の舞台で僧舞(スンム)を踊る写真)