2月15日(金)
bozzoが写真UPしてます。【on_Flickr】0209_ULIOMONI
https://www.flickr.com/ph…/bozzo173/albums/72157676441179107
『ウリ・オモニ』は、私のソロで最初に産声を上げたものだけあって、観る方にも演じる方にも〈行〉を強いる。
無音やまたひそかな音などサイレントなシーンが多く、その中で私は低い位置の寝転りから座り、また寝転がりでのた打ち回る。
所謂、監修である大野一雄の→産まれることと産み落とすこと の両義性を遺憾なく舞踏魂がうずく程に仕込まれた作品だ。
そこに私の、金紅珠を亡くしその弔いに、自らの身体を呈し捧げる舞だから、そのとおりだ。
だが不思議と、いくら〈行〉のハードさで舞台で舞っていても、全公演がハネ4日間経つが、
身体はどこも痛くならず、いつもと変わらない日常生活に戻っている。
魂を舞台に落としてきたかのように、精神は日常には戻れないのだが、身体は非常に安泰である。
今回の舞台は、観客の目に触れない舞台も含めて、計7回は通して行って、それらが折り重なり
作品に向かう旅を繰り返し、地獄を見たり壁を突き抜けたりしながら、辿り着いた着地点。
それでも迷い、やって良かったのか、どうなのか、と自問は付きないものなのだ。
そして今回の極めつけが、公演のステージがハネてから、まだやって来た。
その日のアフタートークに来てもらった姜信子(カン・シンジャ)との第二段に、
うちが出している「異文化の交差点・イマージュ」の対談を場所を変えて行った。
シンジャはアフタートークの際に、このトークをやるからには自分が避けて通っていては不成と、相模原のやまゆり園で19名が殺された施設の跡を訪れて臨んだ、と話してくれていた。
その話に対談でも及んだ。
この舞台が千穐楽を迎えた後、それはそれは、精神が普通の状態ではいられないものなのだ。
身体表現で身体からの声を突き詰めていたところで、いきなり対談という言語の世界へと行くと、ろれつは回らず頭での言語ではなく、身体での言語でしか喋れない。
そこで、私の施設時代の子供の頃に居た、同じ部屋の同級生の女の子の話に及んだ。
その途端に、涙が溢れてばろばろとこぼれ落ちるではないか! これには、我ながらに驚いた。
だって舞台から、擦った揉んだともんどり打ちながらの私の舞いで、散々観客を泣かせていることが気配でわかる公演だったのが、舞台をハネて今度は自分が泣く番に反転しているこの、両義的真実がここに現れたのだから。
そこで気づいた。
施設入所の初夜、幼い私は、最愛で常に守ってくれていた母に、置き去りにされ捨てられたのだ、と。
私の、今のこの現実感は、きっと、ここから始まったのだ、と。