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6月5日に無事関西空港へ降り立ちました。韓国での1週間、ソウルではホテルにインターネットがあったので2通ブログで載せたっ切り、音信不通状態で旅をして参りました。
いや〜、この1週間というもの、ソウル・晋州・固城・釜山、韓国を斜め縦断するといった相変わらずのハードな移動と内容が凝縮された未だに何が何だか整理つかない程の旅でした。 ソウルまではブログで報告している通りなので、その続きから大雑把にいきます。 ソウルのバスターミナルで日本に帰るパギと別れ、我々一行は4人となり在来線のソウルのもう一つの空港へ移動しそこから晋州空港へと飛行機で1時間飛ぶ。 5月30日に会った陳さんがその場で荒行コーディネート電話していた、「自分が小さいときから面倒見た若い者」という情報しかわからない、統営(トヨン)=忠武(チュンム)の若者ということしか知らされていない人が車椅子もそして荷物も4人も乗せられる大きな車に、ソウルからかなりある距離を統営(トヨン)まで小さな車で帰った後、その車に乗り換え統営(トヨン)からまた少し北上する晋州空港に来てくれる、という事だけを頼りに名前も電話番号も聞いていない人を空港に降り立ち探す。 するとすぐに人を探す学生風の男子が見える。何と日本語をしゃべるではないか。そうこうしていると車はもう前につけられるとの事。小さな晋州空港は、ゲートから出るとすぐバス停のような待合室がありその前は車の通りである。車を持って来た運転している学生風の男子がその陳さんが電話で私達を有無を言わさず迎えに来る交渉をしていた主のようである。先に見かけた日本語の出来る学生風男子は、在日コリアンの若者。偶然に2週間程前から今から行くセンターへ来たのだとのこと。 車で1時間か1時間弱、揺られて何が何だか分らないその場所は、2階建ての横に広がる大きな建物に到着した。韓国では風光明媚な複雑に入り組んだ入り江の一帯として有名な場所の一つの、統営(トヨン)である。漁港がきっちりあり、私達が連れていかれたその建物は、その真ん前であった。車から降りると、宿舎といって指された2階建ての細長いところと、少し棟を別にした事務所のような建物から舞踊の練習をしているのだろう、古典の舞踊の音楽が聞こえてくるではないか。 宿舎には行かず早々私はその中に入っていった。きれいな会館風の中にその音の練習場が部屋としてあり、その中で6人ほどの女性がレッスン用のチマ(韓国服のスカート)を身に付け、指導をしている女性はチャングを前に厳しく声を飛ばしている。私が入って見ているのを、全然嫌な顔をせず、もっと中に入れば?といった仕草で、促されたが一応遠慮して宿舎の方へ荷物を落ち着かせに行く。 宿舎は2階で、そのレッスンをしていた事務所のようなところには他にも若者が一人いて、皆で抱えて2階へ上がる。地域に開放された、民族芸能の伝習所のような役割として、そこは建てられたばかりといった感じである。 そして私の母が私の聞き取りテープに残している中に、母親の母方の実家としてトヨンの忠武という言葉を残している。ここも、金紅珠にとっては、何か匂いが同じものがあるゆかりのある場所なのかも知れない。そして、その場所の中心となる車を運転してきてくれた学生の父に当たる、その人は血筋としてしか伝承されない巫壇(ムダン)を受け継ぐ人として貴重な踊りを舞う存在であることが判った。 その人は、チョン・ヤンマン氏と言って、重要無形文化財に指定されている。私達が泊めて貰うことになった所は、それらを保存するセンターとして建てられた「南海岸別神クク保存会」という所であった。そして話をしていると、チョン氏は券番で育ったと言うことで、私の母の金紅珠やその姉の金緑珠が券番で教えていたということでいたく懐かしく思い出して頂けた。 夜9時くらいに到着した異邦人である我々に、チョン氏の奥さんが夕食を豪華に振る舞って頂き、もう夜遅い。取り敢えずチョン氏への話をさせて貰うのに、明日の朝10時からとの約束をやり我々も宿で疲れを取る。 ここの場所は次の固城(コソン)へ行く途中として、金緑珠の踊りを間接的に受け継ぐという最年長の金寿岳(キム・スハク)氏に会うことができるかどうか、の途中下車の場所であった。 短い時間での滞在でも大きなものを得られたところだ。 チョン氏は私に「先ずあなたに、是非お観せしたいと思い用意している踊りがあるので。」とのことでレッスンを行なっていた場所へ案内される。民族舞踊の大会でこの辺一帯の中で一位に選ばれ、6月3日に晋州(シンチョン)で披露する予定になっている、踊りを観せてくれた。着いたその日に指導していた女性が中心となり、女3人で踊る非常に静かであるがスグン・チュンのような踊りであった。首にかけたスカーフ状の物を昔は手ぬぐいを使って踊る踊りとして、スグン=手ぬぐい、チュン=踊り、スカーフを非常にゆっくりと注意深くしかし活況に入るところでは、一本の糸のように微動だにさせず、持ち上げた手から床までをぴったりと柱のように付け、その周りを身体が回るように足を運んで一回りする。といった静かさと動かないスグンとぴったりと寄り添うように回っていく身体が、非常に静と動の織りなす対比と手で繋がっている事を感じさせない妙技へは、心がざわめくものがあり観せて貰って非常に感心した。 そしてまたそこの部屋の壁が観音開きのように急に開けられたかと思うと、中には亡くなって今はもういないここの場所にあった券番のキーセンの人達の写真が飾られていて、その前にはお線香とお供え物が置かれている供養するところがあったのだ。チョン氏は仕切りと、「この場所にいて、死んでいった、皆自分の師匠のようなキーセンの人達です。そしてこの人が私の直接の先生です。」と、全部で8写真ほど並んでいる古い写真の端から2番目の人を指さし何度も繰り返し繰り返し教えてくれる。 そして場所を変えて話を聞く段になり、加藤さんが金緑珠の古くて聞きにくい唯一残っている本人のソリ(歌)を聴かせると、チョン氏は身体が悪いのも忘れ思いが溢れるかのように突然それに合わせるように歌い出されたのだ。これには非常に本人も驚かれ、自分の中にある歌の音階と全くこの金緑珠の声は一緒のものがある、と言われ、止められない記憶の声が身体の奥底から出てくる。 このような感激的な突き動かされる場面に遭遇させて頂けることは、本当に思いも寄らない一つの大きな響きであり深い出会いとして、今回の旅の重要さを益々気付かされる。 ここでの一宿一飯は、私にとって金紅珠が何かを伝えたく導いたような、今後も繋がっていかなければならないものを感じる。(つづく)--'07.6.8
by kim_manri
| 2007-06-08 19:49
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