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いつも行くカットへ行って来た。今年の正月はこれで、もう"お初(と言いながら頭の髪を新しく切ったら、頭に触れられた、私の施設時代の幼い思い出の言葉)"は迎えずに、すっきりと過ごせる! と勢い、出かける。
行きつけのカット屋さんは、長年の付き合いで、女性が開く店。 彼女は自分の店を持つまでのしばしのフリーの時期、私が海外公演を控え、体調は崩すは髪の毛はバサバサやわ、切りに行かれへん〜、とうなっていたときに、カッと道具一式持参し、家まで来てくれた。さっさか切ってさっさかと帰って行った、そのカットの腕も度量もある、中々の女性(ひと)だ。 私の劇団の公演も確か、『マハラバ伝説』のベルリン初演後の伊丹アイホールでの凱旋公演('02年)に、観客として駆け付けてくれたことがある。 彼女の店に入ると、大きな声で話しかけて来たので、思わず先客の居たのが気にならない程。車イスのまま、大きな鏡の前に位置付けて、早々に彼女は腕を振るう。 そして彼女は、いろんな話を提供して、明るく話が弾む。 そんな大きな声での彼女の話へ、ふとッ-筑紫哲也さん、亡くなりましたね-と言う話題が飛び込んで来た。 そうそう、筑紫哲也氏の死去に対しての話題が、何気なくできる関係を私は求めていたんだ、ということに気付き思わず私の声も大きくなっていた。 筑紫哲也氏の死去への感想。 自らガンを公表しニュース23を休んで復帰したかと思う間もなく降板され、やはりかなり悪いらしい、との話はあちらこちらでも聞いていた。だから、死去の報を聞いて直ぐには、やっぱり、と思うぐらいで気持ちとしての落胆と言うぐらいまではなかった。寧ろ、-筑紫哲也氏ならば、死と言うものへの向き合い方も、納得され逝かれだったろう-といった納得する気持ちの方が強かった。 しかし、なぜか不思議なことに時間と日が経つにつれ、言葉以上の感情として-これは本当の意味で、惜しい人、を我々は亡くしてしまった、ということなのだ-と、何気ない日常生活の中で、よぎるようになっていた。 私の率いる態変にとって筑紫哲也さんとは、『壺中一萬年祭』の初年1999年の日本中からエキストラ募集した作品のとき、ニュース23の中で特集を二度に渡り放送に至った。そして又、憲法九条を守る為に、仕事以外として自らに課し、講演に廻られていた活動でも注目はしていたので、その2点で親近感を勝手に抱いているせいなのか、と考えていた。 そしてつい最近になり、筑紫哲也氏の死去後の新聞記事を、読みたくなって探したり病院からインターネットを使って配信されていたという氏の、「多事争論」の最後の画像を開いたりしている。 "話す"ことへの、特によどみなく短い時間内で、纏める、といったことへの要点を伝えるギリギリでの闘い、に対し私は軽く見ていた、と気付かされた。 ニュース23の「多事争論」は、実は、私にとって苦手だった。だから、ニュース23の番組は、態変を扱った以外では、そんなには観ていなかった。おそらく、テレビの電波を毎日に渡り、僅かな時間内としても、特定個人の主張を聞かされているように受け取られる、といった非常に危ういところに、強いて自らを立たせている緊張感に対し私は拒否感があったんだろう。 そしてもう一つ、私にとって"話す"ということへの、コンプレックス。それは母語としての韓国語を喋れずに、日本語でしか思考も言葉もできないことへの自覚、それは言葉として何も語れずにいるのではないか、というある種の言葉不信ともいえる。 だから時間を区切って、足早に喋る『多事争論』への、-本当の所を話せるものなのか?- といった疑いの眼差しがあったからだろうと思う。 それは筑紫氏の最後となったWeb「多事争論」に、見事に自身の口から語られていた。-テレビは短過ぎた-と言う言葉を残し、与えられた90秒(普通30秒が限界)で纏めて話すが、常に欲求不満の連続で一度もきっちりと言えたといった回はなかった。 と話す、筑紫哲也氏がいた。 その話は、言葉と言う言語あるいは文章への、壮絶な闘いとして敢えて"限られた、時間内での、伝えられる力を試す"身を挺する、場を選ぶと言うことか。 なんだか、自分が遣っているソロでも態変でも、舞台表現と通じるものを感じていた面もあったりして。身障者に、態変を観たがらない人は多い、というのと近いものを感じた。 筑紫氏自身、番組に態変を扱ったときは、何を感じられたんだろう。当時の特集の番組自体はあるが、その前後の筑紫氏のコメントはどんなものだったのか、へは手元には現在は残されていない。探してみたいものだ。 そしてカットの彼女に話を戻す、 -ニュース23のテレビで、態変を取り上げていた放送を、たまたま自分も観ていた。 その筑紫哲也さんが亡くなったんですね- 人の中に、話題として繋がるものを、筑紫哲也氏はこんな小さな町の中に、灯しておられるのだなぁ、と思った。 そしてこんなあんな話に飛びながら、彼女の凄腕により、見事に私の頭は刈り上げられていた。スッキリと!
by kim_manri
| 2008-11-27 15:00
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