金滿里の庭
2023-06-02T19:15:00+09:00
kim_manri
劇団態変・芸術監督による製作日記と日々のつれづれ記
Excite Blog
奇跡の『寿ぎの宇宙』'23メタモルホール公演
http://kimmanri.exblog.jp/33126431/
2023-05-31T18:11:00+09:00
2023-06-02T19:15:00+09:00
2023-05-31T18:11:06+09:00
kim_manri
芸術の庭
10年前に誕生した『寿ぎの宇宙』は、その後何度も公演を重ね、一番最近が6年前になる。そのときの東京日暮里今は無くなったd-倉庫で行った公演以来の、お見見えがこの5月19〜21日で行ったメタモルホールでの『寿ぎの宇宙』公演だった。 この公演紹介をブログへやろうと思いながら結局はできずじまであった。公演の細かい記録は、ここに移している私の個人通信「目座視」のコーナーにあるのでここでは割愛する。
年に一度は自分のソロ公演をやりたい、と思いだしている。昨年の3月に新作ソロ『漆黒の赤』をアイホールでやったので、あれから1年は過ぎたのでそろそろやらないと、という考えはあった。
そして今年態変は、結成40周年という節目に入る。それを象徴する公演を10月に打つ予定をしている。無我夢中ではあったが気がつけば、40年間続けてこれたというのは、これまで亡くなっていった態変パフォーマーが深い思いをそれぞれに態変に懸け、残して行ってくれたからで、今を受け継ぐ我々もその思いに応えようとしたから、ここに40年があると思う。
そうだ!なにか前に進む大事な事始めに、韓国の儀礼でやるのは、亡くなった人たちへの供養をし挨拶を捧げ、安寧を祈るチェサという儀式がある。その作品が私のソロ『寿ぎの宇宙』にはあるじゃないか!
今、この作品で、志を一つにし死しても尚支えてくれている亡きパフォーマーたちがいること。そして眠っているだけではなく、40年の節目に出てきてもらい、共にこの険しい行路を清め行く手とするために、寿ぐ手伝いをお願いしたい、と、考えた。
態変40周年を祝祭にする。それ自体が、景気よく聞こえはしても、我々の実態は、成立させるにはそう容易い状況ではない。下手をすると、打ち上げ花火と一緒に消えてなくなる危うさが正直なところである。だが、手をこまねくよりも、当たって砕けろ!
これまでもそうだったように、今年の40年も、黙って通りすぎず、しっかりと出来ることで40年を打って出る。それが、我々のやり方であり、もの言えず差別に喘ぎながらも大らかに態変の舞台では弾け切った亡き同胞(はらから)と語らい、祝祭の初めとするのに最も相応しい『寿ぎの宇宙』をやると決めた。
今回もステージの冒頭から、亡き7人のパフォーマーにご登場いただく『寿ぎの宇宙』。この、一人ひとりのつぶやきを聞き、大きく木霊していくのが私には聞こえ、何ものにも代えがたい喜びがあった。そして、新たな気づきに至った。ここではこれ以上は語れないが、何れ『寿ぎの宇宙』公演の機会があれば、言葉にしていけるかな、とも思う。
さて、公演は
予定の4回公演チケットが2週間前にして完売する、という嬉しい悲鳴で即、追加公演1回を決めれた。
それは、千穐楽の5月21日(日)14時、を、18時からの公演を増やし千穐楽とし全5回公演を果たすことに。
態変アトリエの小さな空間のメタモルホールの集客は、ひな壇客席を設えその横に簡易イスや車イス席空間を用意し25・6人分。立ち見が出れば30人ぐらい。と、昨年3月に行ったアイホール『漆黒の赤』が1回公演に120席だったのに比べると、メタモルホール4回全分が立ち見で入ったとして、ようやくアイホール1回分である。
そういう意味では追加公演は必須だったと言える。
それにしても、コロナの流行で、こちらとしてもメタモルホールを長く閉めていたことと、一般的にホールへ足を運ぶ環境に中々踏み出せなかったここ3・4年、そしてコロナはまだ進行中、といった時期であった。そんな中で、小さなメタモルホール公演をでき、メタモルカフェも開店でき、公演も追加公演を決めれ、なんといういい滑り出しができたことか、と、一番に詰め掛けていただいた観客のみなさんあってのこと、そして舞台を支えてくれたバックステージのスタッフそしてへ観客をつなげる制作回りとカフェ担当者と日替わりで回す責任者に名乗りを上げてくれた助っ人、そういう体制で迎えることができたことが、本当に嬉しい。
そして、公演当日初日に私にとっても、気づかれなく観客にとっても、
サプライズがあった。
この作品の監修である亡き大野慶人先生、慶人先生の奥様の
大野悦子さんが次女の圭子さんと横浜から駆け付けて『寿ぎの宇宙』の私の舞台メイクを直々にしに来て下さったのだ。
大野一雄・慶人両先生の舞踏の衣装やメイク・ヘヤーもずっとプランを練って、世界を震撼とさせた独自の舞踏の美を、産み出す芸術を裏で一緒に支え一部始終を経験してこられた、唯一の生き証人の悦子さん。圭子さんも、慶人先生の愛娘として晩年の言葉を記録し、今私たちが出す情報誌イマージュへ連載中で、慶人先生の跡をずっと形付けようとしておられる。その悦子さんと圭子さんの『寿ぎの宇宙』の今回の舞台は、創る側へその審美眼で鍛え上げた腕で参画していただけたということ。本当に、それだけこの公演は、凄い公演になっていたのだ、実は。
そのメイクをうちの態変メイクを長年引き受けてくれている倉橋かおりさんが、見て覚えその後の公演メイクを行う、と、伝授され託されて初日に来られ日帰りで帰って行かれた。
もう、なんとも光栄の至りで、その後の公演へもパワー注入していただけ全開で、乗り越えれたというご報告をせねばならない。
(写真:初日公演ハネて帰路に着かれる右,大野悦子さん、と記念写真
メイクの倉橋かおりさん、音響の仙城真さん)
(写真:悦子さん直々による貴重なメイク、入魂のアイライン入れ)
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金滿里のソロ全5作品 -映像でその秘密を語る
http://kimmanri.exblog.jp/33018187/
2023-04-21T16:36:00+09:00
2023-04-21T16:36:21+09:00
2023-04-21T16:36:21+09:00
kim_manri
芸術の庭
「上念省三×金滿里 美醜をひっくり返す身体性を探る」という大それたテーマを掲げ、載せた。
これは昨年2022年の夏にジュンク堂書店大阪店で行った記録に編集部が編集を入れ、又その後に追加の対談を上念さんとやり、全体としたものである。
これも是非とも貴重な態変を創る私からの言葉であると思い読んでいただきたい。
詳しくは⇛ http://taihen.o.oo7.jp/imaju/backnumber.htm
私のソロ作品を作ること、即ち態変身体表現を創ること、が、よりエッセンスとして自分と他者へ向け、このときの他者とは観客であり態変パフォーマーであるが、抜きん出て問うものになることは必然である。
そのときのトークセッションはジュンク堂書店から同時にオンライン配信も希望者にはあり、幸いにもリアルな映像が記録として残されていた。
この程、ジュンク堂書店を初めとし各関係者のご協力により、そのリアルトークセッションの模様を映像として、一般へ公開する運びとなった。
トークセッション映像 ⇓
https://www.youtube.com/watch?v=Xn9nvQ1Bnbs&t=875s
これは、態変芸術40年間の営為があって、ようやく私が、上念さんのトークで、良い格好つけずにときにはモロすぎる話題へも痛快な話題へと引っ張っていけた、話したい!という気持ちを全面的に素直に出せた画期的なものだと思う。
はっきりいって態変は、最前衛であり続けないと存在の意味を失う。が、それと同時に40年間前人未踏の地をひた走りして来た道程を振り返るとそこには、一つの消せない足跡が有りそれが伝統として息づいている。もう既に、最前衛であり、古典も有している、という事実に目を向けなければならない。
そういう立ち位置になって、出来上がってしまう固定的古典を理解したい人たちへの、解った振りをぶっ壊していかなければいけないし、ここでストップを噛ますのではなく逆に、忌憚なく態変についてトークをやっていきたいのである。
それが、この態変のような有り方と長年の活動が、この日本の地でやれていることは、世界中のアートにとって<人類が、戦争の方向ではない、芸術を産み出し命を掴み取らせる、生きるための芸術への欲求であり役割>だという意味。
その真実に近づくプロセスを作っていける。その中で態変ってなんなのか、を問題していかなければいけないと、課せられて命題のホンのさわりに触れられた、埋もれさせたくない重要な企画である。
みなさんに公開でき本当に嬉しく思う。
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『寿ぎの宇宙』目座視
http://kimmanri.exblog.jp/33000959/
2023-04-13T07:48:00+09:00
2023-04-13T07:48:19+09:00
2023-04-13T07:48:19+09:00
kim_manri
目座視
金滿里ソロ『寿ぎの宇宙』公演5月19・20・21日(金・土・日)3日間で4回公演、を
態変アトリエ、メタモルホールで行います。
この機会に、観にいらしてください。
この作品は私にとって、4作目となる、師匠の大野慶人先生に監修していただいた最後の作品であり大師匠の大野一雄先生のスピリットも受継ぐ、大きな作品です。 2017年NHKハートネットtv 「ブレイクスルー File.91 革命の身体表現 —劇団“態変”・金滿里」で放送され最後を飾るシーンは印象深く好評で、記憶されている人も多いと思います。
『寿ぎの宇宙』は、東日本大震災が起きた2011年の衝撃を受け、翌年の2012年に態変パフォーマーで私の右腕だった福森慶之介の末期ガンで亡くした喪失感と、そしてそれまでに亡くなった態変パフォーマーたちに思いを寄せ2013年作品を完成させメタモルホールで初演を迎え、
以来10年間いろんな場で上演させていただきました。
’11年大地震の初動は天災でもそれが福島第一原発事故という人災へとつながる様を、人々のあえぐ声をテレビ媒体で見た衝撃です。
それは私にとって障碍者が差別の中で声にならず死んでいった多くの仲間の、<底知れぬ、置き去りにされる恐怖>と重なりました。
その根本には、大きい国家権力が虫けらのように民を蔑ろにする結果があり、人知れず声を発することも出来ずに圧殺されて行く、
名もない命の夥しい存在です。
私はこの作品で、現在に生きる自分の背後に感じ背負い、ともに生きたい。
それは知らん顔で宇宙は宇宙としてあるんだ、ということにではないだろう、それはあり得ないのではないか?
宇宙という茫漠とした無限の中にあって、そういった自己や人間そして歴史は、ほんの些細な存在たるもなり得ないかもしれない。
が、人間の強欲な文明を押し自然破壊を繰り返す様は、宇宙にとっての関わりを宇宙にも問いたい、という思いがあります。
そういった全てが、並列に交差しながらある、受け止め、です。それがこの作品を貫く、許しを請い、寿ぎたい、という私の舞になりました。
::
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私たち態変は、今年40周年を迎えます。よくぞここまで、やってこれた、と思えばやはり
私たちに惜しみなくエールを贈ってくれている亡き態変パフォーマーたちがあってのことと、ここに、
感謝の語らいの儀式を『寿ぎの宇宙』の作品では主とする舞台、それを用意しそこから40周年企画を初めたいと思います。
幾ら自分たちのアトリエといえども、一旦公演となると私たち身障者の舞台作りで、黒子は絶対に必要で、公演成立は用意ではありません。
それにコロナが長引く中、私たちのメタモルホールでの企画も止まった状態でした。
昨年にさなぎダンス企画で久々に開くことができ、後は私の身体芸術研究所のレッスンを開くことで少しづつ開始していました。
今回も僅か26席ほどで一杯になるメタモルホールで、私どもの作品公演ができることも本当に有り難い限りです。
そんな『寿ぎの宇宙』ソロ作品公演に、遠くからでも是非とも見逃さずご来場下さい。
尚、情宣への手が回っていません。
どこへでも、宣伝・SNS・ライン、できる方法で、情報を広めていただけませんでしょうか。
" title="『寿ぎの宇宙』企画書.pdf" type="application/pdf" role="button" aria-label="『寿ぎの宇宙』企画書.pdf" class="Apple-web-attachment" style="text-size-adjust: auto; opacity: 1;">
下に、情報の概略を貼り付けます。
-金滿里の庭-ブログへも書き出していきす。
https://kimmanri.exblog.jp/
『寿ぎの宇宙』公演概要⇛ http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
態変リニュアルアップホームページは⇛ http://www.asahi-net.or.jp/~TJ2M-SNJY/jtop.htm
======
『寿ぎの宇宙』監修:大野慶人 作:金滿里【日時】5月19日(金)19:005月20日(土)14:00 / 19:005月21日(日)14:00【会場】メタモルホール(最寄り駅:JR東淀川)大阪市東淀川区西淡路1-15-15【チケット】 (全席自由・日時指定)前売 一般 3,500円 /25歳以下 2,500円 /障碍者・介助者 各3,000円当日 4,000円チケット予約開始後、ホームページよりお申込みできます。http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html『寿ぎの宇宙』作品についてhttp://taihen.o.oo7.jp/past-pf/kotohogi/kotohogi.htm
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——2023.4.12 金滿里
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情報誌IMAJU Vol.84
http://kimmanri.exblog.jp/32980314/
2023-04-02T16:22:00+09:00
2023-04-02T16:22:55+09:00
2023-04-02T16:22:55+09:00
kim_manri
芸術の庭
観客の皆さんの作品舞台に対する感度の良さを、思いの外感じ取れる嬉しい舞台経験となった。
その熱冷めやらずの勢いに乗り、同じ年の8月にジュンク堂書店難波店でトークセッションを、上念省三さんにお付き合い願いこれ又無謀にもタイトル「美醜をひっくり返す身体性を探る」と、大それた大風呂敷を広げさせていただき、私のこれまでのソロ作品全5作を、その舞台映像を観せながら各作品についてお話することをした。
私の身体表現の、ロールモデルのない、全く新しい表現を生み出すに至る、萌芽への原点とそれが今に至るセオリーの醍醐味を2時間に渡り一気に話した。
これは、今発行中の情報誌イマージュVol.84にトークとして、
そのときの録音起しと、その後上念さんに追加でトークを取らせていただき、
その2回に及ぶ収録を合わせ
トークセッション●上念省三×金滿里
美醜をひっくり返す身体性を探る ー金滿里ソロ作品を中心にというタイトルに、まとめた。
これは貴重な記録に後々なるだろうと、是非とも一読をお勧めしたい
⇛ http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
この勢いトークの中で、上念さんが『寿ぎの宇宙』の作品性について、
「シンプルで重厚に観客へ伝わるこの作品は良い」とストレートに絶賛していただけた。内心で、これはいいことを伺えた、と
素直に『寿ぎの宇宙』公演をやりたい、と褒められると@@は木に登るという具合に、単純な私は思い立った。
年をまたぎ2023年5月にアトリエでの公演決めたのだ。
ソロ作品は、何度でもくり返し上演していきたいものばかりではあるが、現実的には再演は無理なものも何作品かはあって、その話しもバンバンこのトークではしている。
そういう訳で『寿ぎの宇宙』を、今回5月19・20・21日(金・土・日)メタモルホールでやることにした。
『寿ぎの宇宙』'23年メタモルホール、を是非見届けに、
みなさんにお越しいただきたいと切に願う。
先ずは、情報誌IMAJU Vol.84 を、お読みいただきたい。
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白花弁から日々に戻るプロセス
http://kimmanri.exblog.jp/32963000/
2023-03-09T18:36:00+09:00
2023-03-10T16:20:39+09:00
2023-03-09T18:36:22+09:00
kim_manri
芸術の庭
日々が平常に戻りゆく。この慌ただしい心ざわつく、何かが平常ではなくかといって、全ての出来事が大事か些細なことなのかを主査選別できる能力を削がれて行き、のっぺりとした平常心だけを取り繕うようなスルー顔が癖になる、居心地に悪い感情が残る平常な日々だと言える。
確実に『白花弁の歌』で、そういうリアリティーを態変身体で舞台空間そのものを問題にし、伝わったという実感はある。だが、これとて終わってしまって、素に流されて元の木阿弥にされないためには、と、焦る気持ちがまだあって余韻冷めやらずを確認し、良かった、と思う。
『白花弁の歌』を空間として、観客席から見て奥行きのある縦長で見せる舞台作りを、舞台監督の大田さんには奮闘してもらった。
アイホールという、キューブ上の床面を、観客席は無理なギリギリまで箱馬も使って傾斜をつけた作りにしてもらった。
それは、客席から細長く遠くの舞台を見る景色にしたい、作品性だからであった。
それは、ものの見事に観客の反応から的中したのが、公演後のアフタートークでの、客席からの質問やアンケートで感じれた。
細部に渡って、人知れず静かな深々と積もる雪のすべての音を吸っていくような、透き通った感性を表現したいと思った。
さて、こんな至福な後にする列に、次への行き先は何処へ、と問う無粋も誰もいない。
photo by bozzo
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初孫
http://kimmanri.exblog.jp/32944734/
2023-02-12T18:06:00+09:00
2023-02-12T18:06:54+09:00
2023-02-12T18:06:54+09:00
kim_manri
生活の庭
パートナーの朝未は細い体で、スルッと出産できなんとも良かった。
里馬と朝未は、子に陽満(はるま)と命名。
私につながる命がこの世に出現する、という目出度い出来ごとに与っている。
なんとも不思議な気恥ずかしい気分だ。
命に対する捉え方を、自分から発し、自分のものを分けて出来た直接自分の子、があってそこから派生し命を分けられた子ができる。
命が繋がる、ということを目の当たりにすると、自己が増殖するような。
新たなものが展開する兆しである。
障碍者と在日コリアンという自分の立ち位置で、地縁血縁を拒否し、個としての存在に徹底して拘り、自立、という概念を見つけてきた私。
そこで、具体的に生きる、ことを構築するプロセスがあって、遭遇し作り出す血の繋がりがあるということ。
素直に受け止めながら、何を新たに作りたいのか、益々、どんな生き方をしたいのか、を試されているような…。
'23.2.11
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『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』終わって
http://kimmanri.exblog.jp/32899561/
2022-12-13T18:35:00+09:00
2022-12-15T12:12:22+09:00
2022-12-13T18:35:17+09:00
kim_manri
芸術の庭
5回目のコロナワクチン接種に行く。
『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』公演が終わって、丁度ひと月。
今回私にとって、本当に作品的なことを云えば、
こんなにシンプルにストレートで純な作品はない満足な、
現在の最大限を投じた現代アートをやれ、思い残すことのないできだった。
奇跡的に作品自体が自転しだす作品であったとも。
最近の境地に、非常にニュートラルに何ごとも捉えられるようになってきて、とても良い感じだ。
この作品は、生側の死を描きたかったところがあって、作っていたが、作っていく内にそれは実は死側の生なのかも知れない、とも思い出していた。
作品台本の始めに美術小道具として登場させていた、サガリバナ、という設定をし進めていた。だが、予算的に折り合いがつかず、途中で出すのを断念するということがあり、それをなしにし台本を書き換え稽古を進めた。
だが、そのことを復活させたい、という関係者の強い意向、而も家に眠っているそれに合う布がたんまりあるので只で自分に作らせてくれないか、という申し出が私にあり、文句なくOK と、有り難く申し入れを受けた。
結局、私の自分のシーンで入ることにしていた棺にも、そのサガリバナを本来の蔦状にし、中に配置することも少しではあるができたのだ。
シーンの最後の方で、暗転が明転になると床面に、白い花が散らばっている。
その花であり、そのシーン前で私が一人出る際に手に蔦のサガリバナを一本持ち、場を清め空間を変えみんなへ"こっちの方向"と何気に示す。
このように書くと、冒頭に出る<逆風の目>の大美術の次に大事な役割を担っている、
サガリバナ。
なくて、どうするつもりだったのか?と、自分で突っ込む。
態変の身体が、花にもなり、空間を歪める身体性の舞がある、というのは基本にある。
これがないと成立しない、というものはなるべく廃したい、という身体表現者の欲がある。
だが、今回の作品がサガリバナを選び、自分で引っ張ってきたのだ。
これは、もう作品に魂が宿り、作品自体が成りたいように成るのだから、それを受け入れ最大に活かし楽しむのが芸術家だ。
その、申し出は、私の旧友であり今回の衣装を担ってくれた、坂本式子である。
その式子の母君がもうかなりのお年で、公演の最中もずっと命の灯を何とか持ち堪えられていた。とうとう12月8日に旅立たれた。
式子の、二度目の申し入れが来た。
棺の中に吊るしたのと私が座って手にした、蔦状サガリバナ、を母君の棺に入れたい、と。
有り難い限りでお渡しすることにした。
12月15日、葬儀がありそれに間に合うべく、明日に届ける手はずが整う。
私の身に纏っていたサガリバナが、今度はその生みの親の式子の生みの親の母君をも傍らに寄り添い守りながら、本当の死を受け止め一緒に焼かれてくれる。
あの世へと、無事に旅立ち、
生まれ変わりがあるのなら、母君がまたこの世に戻って来られるよう、願いをかけて欲しい。
これで私が本当にやりたかった、
『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』は、生側の死ではなく、死側からの生として
この作品の素晴らしい完結をここに迎えられるようである。
と、云うわけで、『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』も、再演を待っている。
(中山和弘撮影)
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『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』稽古、いよいよ大詰め
http://kimmanri.exblog.jp/32868176/
2022-11-03T21:31:00+09:00
2022-11-03T21:32:36+09:00
2022-11-03T21:31:26+09:00
kim_manri
芸術の庭
まぁ、生物としての作品の声に、自分で気づく、そういうことがあるんだ。
いろんな作品の作り方をやってもいいんだと、ようやく思えるようになって来て、一つの作品性の命にサーフィンするように波に乗り、それに動かされるのを楽しんでいる。
とはいっても、それはとても内から突き動かされる、いつもの芸術をやるときの得体のしれないエネルギーが自分を動かす一つの衝動なのだ。
だから、苦でもなく、唯見えて聞こえる、ものに正直に向き合っている感じ。
この『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』という作品は、特に、私のやりたかった今の衝動を形にする、ところのものだからこれまでよりも、余計にその方向が強いのだ思う。
感覚派としての直感や衝動で一瞬一瞬がサーフィンしているようだ。
一緒にやっている舞台作りの者たちや、ましてや観客に伝わるといいのだが。
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『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』マスメディア取材
http://kimmanri.exblog.jp/32861125/
2022-10-25T19:52:00+09:00
2022-10-25T20:20:10+09:00
2022-10-25T19:52:49+09:00
kim_manri
芸術の庭
鍼灸後は体がほぐれて頭がボーッとする。が、今日はその後にマスメディアzoom取材があるので、そんなことは言ってられない。
昼過ぎ、日経大阪新聞取材受け。
昨日は、時事通信zoom取材受けがあった。
両者、偶然にも同じ質問が最後に出てきて、思わずこちらが驚く。
来年40年を迎える劇団として、何か40周年記念企画を考えているか?
である。
特に今日の日経は、作品について私が話すと俄然関心を寄せていただけ、
今回は短い記事にしかできないが、来年の40周年記念公演の折にはしっかりと取材内容を組んで記事にしたい、と意欲的なってくれた。
やるとしたら来年の秋なのか、それ以降の再来年になるのか? と具体的に聞きたい様子。
そんな不意な反応を受け、期待に応えられるかどうかはさておき、長年やってきた労が報われるようで嬉しくはある。
これまで、共同通信は、態変来訪取材で、既に済んでいる。
明日には、毎日大阪新聞、態変来訪取材の予定。
その記者によって私の作品への説明は少しづつ違えているので、何を掴んで記事として出てくるかが楽しみ。
各インタビューは、面白く私の応えを引き出せている。
どの記者も、態変の抽象身体表現へ、回帰する、ということはパフォーマーがそれだけ表現性を高めてきたということを意味するのか?
という質問がしっかり出て来るのが、やはり面白い。
今日などは、
身障者の身体表現の強さを、個別に抑えストイックに演じさせることで、普遍的な弱さやナイーブな有りようが返って際立ってくる。
人間なんかにはなりたくない、というのが私が態変で身障者表現を引き出したいところ。生と死の狭間は、そういうニュートラルなところがきっと合うはずで
パフォーマーたちは、そこをやってくれる筈。
と、太鼓判を押した。(写真:『白花弁の歌』広い所での稽古風景)
公演情報⇛ http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
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『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』目座視
http://kimmanri.exblog.jp/32857613/
2022-10-21T10:53:00+09:00
2022-10-21T10:53:01+09:00
2022-10-21T10:53:01+09:00
kim_manri
目座視
(~) ,,~目座視181~" 送信させて頂きます。 ★★
V
ようやく、秋の気配となりましたが、みなさんお元気ですか?
今日は目座視180でもお知らせしている、態変『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』公演です。
いろいろと考え、この作品はこれまでとちょっと違うな、という感がしてます。
態変の抽象身体表現として、やりたい❢ という思いが強くなってきたところにある作品です。
これまで態変は-さ迷える愛シリーズ-3部作を、(コロナに見舞われることで)粗4年弱をかけ完結させました。
このシリーズの初め『翠晶の城』は、やはり抽象身体表現からの旅立ちでした。
その後、シリーズはメッセージ性の強い物語でその旅を綴りました。
各作品が追うテーマは多様に満ちたわりには、スコンと伝えたいことを伝えられたいい場として、旅の終着地点に辿り着いたといった感です。
そしてこの3月には、劇団という束縛を離れ、自分のためだけのソロ新作を9年ぶりに世に発表できたのは大きかったです。
より芸術を求めるモチベーションを高く養うことに成功したと思います。
私が作演出として態変に戻ること自体、一つの節目を迎える覚悟が劇団員にもなる、そういう今回の態変新作でなければいけない、と劇団員一同いい意味での腹括りができたのではないか、と思っています。
それらの道のりへの新たな態変提示は、やはり抽象身体表現でないと極められない世界です。
@@@@@@
もう、何もかもが、生きづらく煩く嘘くさくある現実、それを、無、になりたい衝動を抱えるのは現代社会において、本当に誰しもが持たされ、
絶叫したいぐらいの死に対する希求がエネルギーを帯びる、といった非現実があるのではないでしょうか。
その、天国と地獄の存在自体嘘くさく、しかし日常では何も知らされずにその狭間を行ったり来たりさせられている。
人は、微々たる存在であっても、懸命に、良くも悪くも在ってしまう、という罪。
だと、私は思うのです。
その意味付けを極力排除し、そこに在る身体を凝視したい、衝動、が、今最も嘘の付かない芸術としてありたい、と、私は思ったのです。
そんな壮大な実験劇場が『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』だと思っています。
壮大は、微々たる、小さき宇宙に、大事にひそかに、潜んでいる
メッチャ、やりたいことを、今作れていて面白いのです❢
兎に角、観にいらしてください。
アフタートークに凄いゲストが来てくれます❢
サイトウマコトさん、田口ランディさん、に加えて
フライヤー掲載時には予定していなかった、倉田めばさん、もゲストに決定しました。
『白花弁の歌』、態変の難解な抽象身体表現舞台を一緒に言語化したと思うもよし、一人で思索にふけるもよし。
いずれにしても、凄いです。
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劇団態変第74回公演
『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』
11月11日(金)19:30★
11月12日(土)14:00 / 18:30☆
11月13日(日)12:00◎ / 16:30
受付開始は開演60分前、開場は開演30分前
★☆◎の回は終演後アフタートークを行います。
★サイトウマコト(振付家/ダンサー)×金滿里
☆倉田めば(大阪ダルク ディレクター)×金滿里 ※追加決定しました
◎田口ランディ(作家)×金滿里
会場 AI HALL(伊丹市立演劇ホール)https://www.aihall.com/
[チケット] (日時指定・全席自由)
【前売り】
一般 3,500 円
障碍者/介助者 各3,000 円
22 歳以下 2,500 円
12歳以下 1,000円
ギフトチケット 3,500円(枚数限定)
※プレゼントに最適な「ギフトチケット」特典あり。
【当日】
一律 4,000 円
・各種割引は当日受付にて要証明書提示
・障碍者は手帳をお持ちの方。介助者は障碍者と同伴1名まで
・車いすのまま観劇できる席は席数限定。劇団態変へ要事前予約
[ご予約]
①劇団態変
予約フォーム http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/form/ticket2.html
ギフトチケット専用お申込みフォーム http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/form/ticket3.html
TEL 06-6320-0344(留守番電話の場合はお名前と電話番号をお残しください。)
※当日精算
②カンフェティ
http://confetti-web.com/taihen-74/
カンフェティチケットセンター(0120-240-540 通話料無料・受付時間平日10時~18時)
※web予約は観劇ポータルサイト「カンフェティ」への会員登録要(無料)。
※セブンイレブンでのチケット発券(別途発券手数料要)
③ アイホール(電話予約のみ)
TEL 072-782-2000
※当日精算
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金滿里
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高野山、夏休み4
http://kimmanri.exblog.jp/32846335/
2022-10-06T21:29:00+09:00
2022-10-06T21:59:34+09:00
2022-10-06T21:29:55+09:00
kim_manri
生活の庭
バスも車イス対応のノンステップバスはあると言えども本数は限られていて、駅員も仕切りにバスを乗る時間を気にしてくれる。こういうフラっと旅に出る気分には、それがうざったく少々の距離なら歩きを決め込む。今回も豪雨の中、途中軒下で休憩も入れ、歩き詰めて約30分ぐらいか。
まぁ、高野山市内メイン国道を台風影響の豪雨の中、大きい荷物を後ろにかけた目立つ赤い傘さす車イスとこの旅に新調した黒尽くめ雨合羽着てそれを押す人、行き交う車からはどう見えたのか。高野山にこういう人は住んでないよねー。如何にも観光客風でも、肉体一つで果敢に豪雨を突っ切る姿は珍しい光景だったことでしょう。でも、1台も車止めて「行くとこまで、乗せましょか?」は、さすがに車イス絡みじゃ誰も口にする人はいなかった。こういうのも変な二人連れ車イス旅の面白さだ。
宿坊は恵光院というお寺。
やはりお寺なので、部屋を宿舎に開いていて襖一つ隔てて座敷が並ぶ一部屋を当てが得られ広い廊下も段差はあって、とてもバリアーフリーではない。何とかお接待のお坊さんが手伝いはしてくれるが、人手はない、という感じ。それでも宿坊泊のオプションの<瞑想体験>にも参加し部屋まで配膳してくれる精進料理を食し、次の日は帰るのだがその前にあの奥の院へ向かうのが、今回の旅の目的なので早々に就寝。
翌日の9月3日
朝10時にチェックアウトで助かった。障碍者の朝の支度は時間がかかって大変なので、ちょっとでも遅くまで居れるのは気が楽だ。
早々に、やはり歩いて奥の院を目指す。
空海の即身成仏の場が奥の院。
凄い石畳の延々と続く山を切り開いて作ったのだろう、なだらかに登り坂。それも石階段が多い所で30段ぐらいか?4・5ヶ所はあって、登って行くのを和らげている。
私は今回、余り予備知識はなく行ってみて初めて知ったのだが、その石畳の登りの両側にはお墓がビッシリと立っている。それも苔むした古びた戦国時代の名だたる武将の総オンパレードで、敵味方入り混じっての大きな墓石揃いには驚いた。
森林浴で空気はよくとてもいい気持ちなのだが、私はお墓は余り好きな方ではないので、なるべく見ないように。それよりも、石階段を上がるのに車イスの幅が丁度乗り上げるぐらいの広い一段づつだったので、連れ合いの仙城さんは車イス押すA急ライセンスなので、一人で一段づつ前輪を上げ階段に噛ませ後輪を乗せる、といったとても根気と腕力が要るやり方で一人で行き切ったのである。車イスに乗っている私は、一向にしんどくはないのだが、連れ合いのその重労働の繰り返しにハラハラ心配しながら気が抜けなく、墓を見ずに済んで返って良かった。
石階段と風景
行き交う人からはここではさすがに、手伝いを申し出てくれる人たちはいたが、返ってペースが取れず大変になるので有り難いが丁重にお断りしながら、ゆっくりとマイペースで行く。そして20分ぐらいか、休憩所に付き休憩をゆっくり取って、出ると意外とそこからは早かった。
大きなお堂があってその後ろ側に、お線香を上げられる棚がずらりとありその向うは柵で仕切られている。その奥には、自然の木々と、元は黄金なのか?の佛の極楽を表す造り物が、いい感じで黄金が古びた渋さに洗われ、蓮の花やインドの南国風の木や植物といった物が外に立っていて、自然全体と造物が渾然一体に生い茂った感じで、その向うに更に小高くなっている所があり、そこに祠のような建物=霊廟が、垣間見えるようにある。それは遠くにあって近寄っては見れない、幽玄な雰囲気を醸し出している。
ようやく来れた! 空海の即身成仏の場、霊廟だ。
着いたのは10時半頃。人は私たち以外では女の人一人だけであった。静けさの中で、祈りをゆっくり捧げる時間をたっぷり持て、空海独り占め、できた気分でお陰でとても心穏やかな良い時間であった。
即身成仏の空海は、生きて生き仏様になっているのか、死んでいるのか、興味は尽きない。が、空海の霊廟の前で穏やかな時を過ごしながら、私は、やはり空海は死んでいる、と思った。架空の中では、空海は生き仏になっている、ということだろうが、現実には居ない。そんなことを思った。
実は、石畳歩道と階段の方を使わず、新しくできたお墓の道が緩く上がって行くバリアフリーの方もある、というのが終わりに判った。
だが、私たちは一般が使う難路の方を行って良かった、し、またの機会があっても絶対にこっちの方で来たいな、但しそのときは屈強な介護付きで来ないとな、と仙城さんとともに意見一致!
帰りはさすがにバスを使った。
後はいそいそと帰路について大阪の喧騒に戻ってきたのであった。
奥の院、間近の休憩所にある、仏の列
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『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』はじめに
http://kimmanri.exblog.jp/32842093/
2022-10-01T18:00:00+09:00
2022-10-01T18:00:05+09:00
2022-10-01T18:00:05+09:00
kim_manri
芸術の庭
忌まわしい国葬があった翌日大阪であった9月28日に観に行きました。
この事件があったとき、私は
こんな暗黒の歴史真っ只中にブチ込まれた銃弾、の事件。これこそ映画にしないと。いや、この日本では映画にする人はいないだろうし、いたら妨害が入り潰されるだろうな…。
と、直ぐに思いました。
それが!なんと!こんなに早くに安倍国葬にブツケ試写会までこぎつけるなんて。
日本の表現者魂も捨てたもんじゃない。
而もそれを作ったのが、パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバーの映画監督、となると、これはガゼン観ないと!
結論から言うと、私には素直に伝わる映画で非常によかったです。
それまで、山上、という犯人を単なる殺人犯と捉え済ませようとしていた自分だったのですが、
自分の中にもある持って行き場のない怒りを、直接対象に晴らすのでは解決しないというのは判っていて、それでもより大きい背後に潜む自分とは全く関係のないように一見見える、社会の構造そのものに向かわざるを得ないリアリティー、彼が安倍をターゲットにしたというところを直視でき
それがこの監督の言いたい、山上の黙々と、酷い状況に置かれていった旧統一教会への怒りを、単なる復讐劇ではない成就させるプロセス、の描き方に共感しました。
完成版を12月には出したいとのことで、是非とも映画館でその完成版が観たいです。
と、長くなりましたが、なぜ、こんなにこの映画に字数を割いているのか?
この秋真っ盛りの11月にある態変新作『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』の作品を
伝えることとこの事件をどう捉えるのか、それが、同義語だからです。
先ず、今回のタイトル『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』の理由をいうと
昨年の11月に手続き上で必要な時期、私の中でフット湧いて出てきたタイトルでした。
その頃は世の中の雰囲気が、コロナに翻弄されそれにも一定慣れてきてうんざりしながらも、
もっと奥にある問題、地球温暖化という人類の危機に関し、経済の発展への軌道修正を避けては通れないだろうという
人類として棚上げしている大命題がある。だが、どうも資本主義はそうとは捉えずもっと酷い悪足掻きの方向しかなく、
日々の暮らしにキュウキュウになっているコロナ禍で経済の不調に喘いでいる一般市民の我々は、
そこで指し示されるものを受け入れるしかない体制免疫の仕上げにコロナ過によってきれいに嵌められた。という感があったのです。
そこには、資本が生み出す常套手段は、戦争、を起こすことだと言われてきたことへどんどん近くなっている、それを感じているのは
私だけではないだろうと思います。
このどうしても抜け出せない、安倍政権の長きに渡り作り上げてきた虚飾にまみれた戦争のできる国作りは、
散々に壊し踏み潰し汚く不正にまみれた結果の犠牲に、赤木俊夫さんのような多くの語らずに死した人々がいて、
その延長に我々がいるというところに迫ってくる状況です。
そうこうすると今年になって2月にはロシアのウクライナへの戦争勃発。
今や戦争のきな臭さはより大きく増しています。
タイトルにはインパクトが必要ですが、それを超える言語がもはや見つからない。
虚飾にまみれ腐りきった人類破滅の方向を、打つ言葉として幾らシビアで倍以上の言葉で表しても
その事自体が嘘のように聞こえるしかない、虚しい人の世を生きているのだと判るのです。
もういい、そうならば、真逆に行こうではないか。
と、ふと湧いたタイトルが『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』でした。
透き通ったなにもない空気のように薄っすらと、漂うように降ってくる、白。
何にも染まることができるがそれでいて、決して何にも染まらず、在りながら無に近い、漂泊するイメージ。
それは、現代を象徴する、あまりの世の酷さに個人を無くする
どこか残骸絶壁に立たされ死を見つめさせられたときの、受け身から能動へと変化する
永遠の安息への願望を秘め限りなく死を希求する、個人抹消衝動への美学。
だけども、決して譲らず、最後の一点でこの世に戻ってくる生き直しが、白にはあるのです。
このタイトルを思いついたときは、勿論こういう事件が起こることは夢にも思わず、
生きながら死んでいかされる、酷いお金第一主義に障碍者は最も価値のない時代にどんどん入っているから、全体の人間感も筆舌に尽くし難く恐ろしい扱われ方になっているのが問題でした。
しかしまだ記憶に新しいこの7月に起こった、安倍銃殺事件、
そして山上を描いたこの映画「Revolution +1」のプレ上映を観て
山上が安倍を打ったことで、露呈した、生も死もない間で浮遊させられている
政治が掘った暗い洞窟で藻掻き苦しまされている人々がいる、という現実。
そこでの恨みの証明は、行動でしかない、ということ。
死と生の間で舞っている、儚い命は、山上のものとして、生き戻ってこないといけないということ。
今回の『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』は、この事件を予見していたのかも知れませんね。
象徴するのは、
限りなく死と向き合う白骨を、白花弁に化身させ、生き戻ってこないといけない
というメッセージだと気付いたのです。
それが山上という個人を通し、この作品が伝えるべきこと、
現代の人類の向かう方向性は確かにある、ということ。
悲惨な状況を見ること、顕在化させること、その一点において前へ進んでいけるのです。
この映画を観て、はっきりと表現芸術の力を受け取り、勇気が湧きました。
そして、山上くんはやはり死なせてはいけない、という理解になれました。
『白花弁の歌(しろはなびらのうた)』公演リンクはこちら
http://taihen.o.oo7.jp/upcoming.html
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高野山、夏休み3
http://kimmanri.exblog.jp/32830296/
2022-09-16T19:30:00+09:00
2022-09-16T19:31:52+09:00
2022-09-16T19:30:27+09:00
kim_manri
生活の庭
なぜ私が、高野山を選んだかといえば、空海、には興味があって密教にも興味があったから。中国映画でCGを駆使して作られた『空海』も観に行った。
が、単なる興味の域であって、実は今回始めて、空海が弘法大師と同じ人だということを知ったぐらい無知な私である。
え?❢ 弘法大師って、四国八十八ヶ所お遍路さんを開き、そればかりか日本中至るところに出没してはその足跡が記されているほど、行った先々で何かを見つけ意味づけし後世に残している。その人と、空海は同じ人❢
弘法大師って、「弘法さん」と呼ばれ庶民の生活にも根ざしたどちらかといえば、在野のイメージだった。
それが、空海、となれば、今回訪れて実は驚いている高野山本山の金剛峯寺。
この寺の敷地の広さや中を巡回で見れる日本間の絢爛豪華さ、そしてこの前の2で書いた僧の話にあった、当時の天皇とも近い、というか天皇の命で遣唐使に赴く任を得、帰って来た人物。同じ人物となれば在野ではなく、どちらかといえば天皇に通じる体制側、右側の人ではないか。
何れにせよ1人の人生で、それもこの時代勿論新幹線などない、全部自分の足で行脚するしかない、幾ら仏門に使える僧といえどもたった1人でこれだけの包括力と行動力でできるものか。それが本当なら超人的な人ではないか。こんなけ大きいことを小さい庶民の生活を改善やすくい上げることも同時並行に成し遂げられた。のか? 本当か? 疑り深い私なんぞは、昔のことなので、かなり盛っているんではないのか、と、俄に信じがたいぐらい初めての同一人物情報が内に雪崩込み、動転していた。
となれば、その赤いお堂という曼荼羅と一体になる、空海ワールド目指し、ここはいっちょ体験せねば❢
と、一旦は帰りかけたのを大広間の説明僧の元へ、行き方を聞こう、と戻る。
まぁ、よく判らない、ということで兎に角、簡単に行き方を聞き目指す。
まぁ、お寺というのは車イスでは行きにくいものだと相場は決まっていて、かなり苦労しお堂へと到着。
お堂は綺麗に朱に塗られ、赤いお堂、ではなく、朱いお堂、であった。
正式名は、壇上伽藍、という。
石の階段が長くその上にデンとそびえるように、朱いお堂はあった。
見るからに、これは大変だぞー、階段ばっかじゃないのか?スロープなんかはないよな、と。
先ずは社務所を見つけ拝観を申し出る。すると、やはり…。
一旦は諦めて帰ろうか、と思ったが、やはり諦めきれず、仕方ないので同行二人の連れ合いの仙城さんが、おんぶすることにする。社務所の受付の僧に協力してくれるように頼む、と諦めきれないのが理解できるという具合に、できることで協力すると。先ずは来たところなので、旅の大きなリュック荷物を社務所に預かってもらい、台風影響の空模様を気にしながら、長くそびえる石階段前へと。
仙城さんがおんぶし、僧が「雨が来るから、自分が上へ上げておきます。」と、2人の素早い連携が生まれた。自前の車イスは土をお堂に持ち込んではいけないので使用禁止で、備え付けの車イスがあるのでそれに乗ってくれと。普段使用されていないので車輪は空気が抜けていたが、文句は言わずに有り難く使わせていただく。
壇上伽藍の内部は撮影禁止。気が動転していたので外観も写真はなし。
まぁ、ここでも驚く❢
絢爛豪華な金色の仏が何体も。真ん中にデンとおわしますのは大日如来坐像。
また、無知を引け散らかすと
密教が、真言密教というのも今回初めて知った。
私は勝手に密教は、華厳の滝とか、険しい修行の秘儀を担う、日本でいうなら山伏に通じるものだと。
だから、こんなに絢爛豪華さで金色に輝く大日如来の仏像がド迫力で、阿弥陀如来や他の仏を周りや奥に控え使えている❢ 大日如来って、そんなに偉い仏さんだったとは❢❢
なんで、宗派でそんなにイメージが違うの??? 私はブッディストでもなく無宗教なので、全くガテンが今も行かないが、ま、それはそれとして…。
仏オンパレードのようなそのお堂の、中心には大日如来がいて、他に有名な数々の仏どころが鎮座し絢爛豪華な様相。その周りを朱柱が何本も取り囲んで、また小さな仏の世界があって。
周りをぐるりと回覧でき、そのお堂の中の世界へと確かに入っていくよう。
人がいなかったので貸切状態で、ゆったりと長くその時間の中にいて、仕舞いには時間も概念も消えていくような。
これが、曼荼羅を体感できる、空海が目指した至幸(そんな言葉があるのか?)の宇宙観なのかも、と理屈抜きにスッポリ嵌まった。
そこを出て石段をおんぶで下がるとき既に雨が降り出した。
社務所で荷物をもらっていよいよ傘のお出ましで、雨具の用意で出る頃にはザザ振りと。
これも必然で、無駄なものは何一つないので、壇上伽藍を見るまでは雨も待ってくれその後は何でも、槍でも鉄砲でもやって来い、の気分で一路宿泊の宿坊へと急ぐ。
壇上伽藍の外観を、ヨレヨレになったパンフで少しでもどうぞ
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高野山、夏休み2
http://kimmanri.exblog.jp/32827986/
2022-09-13T20:36:00+09:00
2022-09-13T21:37:17+09:00
2022-09-13T20:36:56+09:00
kim_manri
生活の庭
行き着いた先に、お茶を振る舞っているお世話の婦人に美味しいお茶をもらって、だだっ広い赤い毛氈の入った畳敷きの広間へと。
ここも車イスのままで良いというので、畳の上を気が引けるが言われるままに進むと、説法講話を聞ける良い机が並べられた人のいないところで、休憩できるので一休み。
眼前には空海らしき肖像画2つ。
たった1人でお坊さんが観光客2人へ有り難いお話しをなさっている。
聞きたくて近寄っていくと、耳に飛び込んできたのは、
初め、空海の遣唐使からの初めに帰り着きで、経典を投げるとここの松の木に引っかかり紫の光を放った。というようなことも言われていますが、その真意は別として。
空海が、天皇に、僧侶を育てるのに高野山を欲しい、と頼み天皇も許可した。
しかし天皇とて所詮人間です。
人間の天皇が許可してもダメなんで、高野山の地神さまに許しを請う必要がある、と考えた空海は、
鄭重に地神さまにご挨拶し、折り合いがついて許しを受けられここに着手できた。
ふむふむ。と、面白い話が垣間聞けたな、と思っていると
向うに赤いお堂がある。
そこには空海が、曼荼羅の宇宙観が全て中に入ると共にある、
すっぽりと一体になれる体感があるように、お作りになられた。
お!これは、逃してはならず。私がここに来て、そこを抜かしてはいけないだろう。
と、行ってみることに。
急いそと出口へと向かう途中に、これはこれは素晴らしい金剛峯寺のお台所があった。
行事の時は今も使われるという、凄さ❢ 私の大好きな竃さん。
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高野山、夏休み1
http://kimmanri.exblog.jp/32802615/
2022-09-07T13:53:00+09:00
2022-09-13T19:19:08+09:00
2022-09-07T13:53:09+09:00
kim_manri
生活の庭
ずっと行きたかった念願の場所。
隠れ鉄道オタクと私も今回はじめて知った連れ合いのチョイスで、日に2往復でしか運行していない南海電車「天空」の朝10時台に乗る予約をし、宿は宿坊「恵光院」を抑え、迫る台風11号の進路をかわしながら、いざ❢ 出発❢❢
朝6時起床
地下鉄天下茶屋で南海に乗り換え橋本駅で南海特別電車「天空」終点極楽橋下車、同じ構内にある
ケーブルカー乗り換えて「高野山駅」到着後はバスで中心部迄。
特記事項は
特別列車の「天空」が、やはり良かった。
特別列車両は2両その後に通常車両2両が連結され計4両編成という変わった仕立てになっている。
私は、高山へ登っていく列車に乗るのは初めてで、先頭に乗れた。
「天空」は、車両の席が景観の良い側に、窓を見れるようカウンターがずらっとあって客席はその前にベンチ式で配置されている。子どものように窓にしがみついて見れるようになっている。だが私は、車イスなのでその固定席には入れず、結果はみ出しドアーにいた。
それが、運転手の前全面にたまたま位置し、パノラマ風に円周180度に山を登りを見渡せるポジション確保になって、高山へ上がる風景を楽して全部を鷲掴みに自分のものにできる、といった思わぬ贈り物に遭遇。絶景が楽しめたのだ❢
その内、乗客も気づいて、少ない運転席側の席に移ってきて景色を楽しむ人もいて、「やはり、そうでしょう?」と、一人頷いていた。
極楽橋到着後は中心部で降りて後はテクテク歩いて先ずは
空海の総本山 金剛峯寺(こんごうぶじ)
この龍の長い2本の髭が、薄水色に塗られ、凄く繊細で台風なんかには大丈夫だろうか、と、よけいなお世話をしてしまうほど
立派な、本堂横の建物
本堂中は、廊下を右や左へ張り巡らせられた迷路のような続きで、豪華な有名絵師が腕をふるった広間が続く。完全バリアフリーなので車イスはすいすいと。撮影も模写も禁止。
こんなすごい物見つけた❢ 現在も大きな行事では使われるという、竈(かまど)。
竈の何と、厳かなことよ。
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